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広島県廿日市市地御前 智秀山西向寺

広島滞在二日目
宮島に向かう広島電鉄宮島線の地御前駅で一旦下車し、地御前神社に向け街並みを歩いて見ました。

地御前駅から踏切を越え、左手の地御前の街並み方向に向け歩きだす。

地御前の町の入口に掲げられた地御前史跡マップ。
駅が〇、マップの場所が⇩。
今回の目的地「智秀山西向寺」は☆印の位置になります。
因みに駅からこのマップまでの所要時間は2~3分程、ここからマップに従って西向寺までが2~3分程です。

山陽本線の北側にあたるこの通りは、どことなく旧街道のような趣のある通りで、狭い道沿いには家々が立ち並び、地御前神社に続きます。
マップから2~3分程で左に観音堂があり、その斜め向かいに写真のような鐘楼門が見えてきます。
立ち寄る予定はありませんでしたが、門の前を通りがかり、このまま通り過ぎるには惜しい光景が目に入り、かみさんには先に進んでもらい、少しだけ道草してみました。

智秀山西向寺鐘楼門。
この鐘楼門は明治44年(1911)に建立された瓦葺の門で、平成13年(2001)に現在の本瓦葺きに改修された威厳のあるもの。

浄土真宗本願寺派の寺院で、伝承では僧玄正が寛永2年(1625)旧大野町東部に開基したのが始まりとされ、当初宗派は違っていたようです。
後の四世宗玄が貞享(1684~1687)頃に浄土真宗本願寺派に改宗、高取の正傳寺の末寺となり、地御前神社の参道改修に伴い、現在の地に寺基が移転されたようです。
現在の伽藍は、鐘楼門、本堂、経蔵が主な伽藍で平成に入り補修の手が入れられたようです。

さて、通り過ぎるには惜しい光景とは上の写真にある1本の赤松。
「天蓋松」や「蓮華松」と呼ばれるようで、樹齢が260~340年とも云われるようです。
どっしりとした太い幹、上は止められていますが、そこから枝の見事な事。
鐘楼門から本堂に続く石畳の参道の上を、まさに天蓋の如く覆うように伸びています。
あまりに長い枝振りは、多くの支えがなくては自重を支えきれないほど見事なもの。
地御前史跡マップにも一際目に付くように描かれ、地御前のシンボル的な存在なのだろう。

地元の郷土史は「天蓋松」について「晴れの日には木陰を作り、地面に本堂の格天井のような影を落とし、雪が降っても天蓋松につもり、本堂まで雪を踏むことがない」とも書かれています。

正に天蓋松は地元の誇るべきシンボルのようです。
境内にはもう一つのシンボルとも云える大木が聳えています。
山門左に聳える公孫樹がそれで、こちらも上は止められていますが、樹齢は天蓋松より更に半世紀ほど古いとされます。
二本の巨木が聳える西光寺、秋は秋で境内が黄色一色に染まる事でしょう、地御前神社を訪れる際には、西向寺の「天蓋松」は一見の価値ありです。

智秀山西向寺
宗派 / 浄土真宗本願寺派
開基 / 寛永2年(1625)
本尊 / 不明
参拝日 / 2023/03/03
所在地 / ​​広島県廿日市市地御前3-22-23

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