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長瀧白山神社・長瀧寺大講堂(郡上市白鳥町長滝)
岐阜県郡上市白鳥町長滝。
白鳥町二日町の八幡神社から長良川右岸沿いに国道156号線を2.3分程北上すると、国道と並行して伸びる長良川鉄道の「白山長滝駅」が今回の目的地の「長瀧白山神社」の参道口になります。
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長良川鉄道白山長瀧駅。
駅手前の踏切の先に長瀧白山神社の広い駐車場があり、夏場の渓流釣りやドライブ中睡魔に襲われた時には木陰の駐車場で仮眠をとらせてもらいました。
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駐車場から見る長瀧白山神社、長滝寺参道口。
「霊峰 白山への道」と記された大きな石碑がある。
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上
参道右に「表本宮白山神社」社号標、左に「天台宗白山長瀧寺」の寺号標。
下
参道は長瀧寺と白山神社の双方を兼ねており、参道脇には往時の勢いを偲ばせる坊跡が残っています。
参道の先に神明鳥居が見えますが、白山神社社殿まではまだまだ先になります。
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長滝白山神社について岐阜県神社庁の解説は以下のように書かれています。
「白山神社
通称 長滝神社。
主祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊、彦火火出見尊、菊理姫尊、天忍穂耳尊、大己貴尊。
所在地 岐阜県郡上市白鳥町長滝字杉山91番地。
由緒由来
霊峰白山を神体山と仰ぎ、白山信仰の表日本における一大拠点であり、いわゆる美濃馬場とはこの地のことである。
古くから土民の祀る一社があったが、養老元年(717)泰澄大師が白山に登拝してからは、修験道で栄え、白山妙理大権現を祀る霊場となった。
一方この地は奈良の都の鬼門にあたり、元正天皇は帝都鬼門勅願所に定められ、飛州河上郷に至まで、1万3千石の神領を拝受し6谷6院360坊を置いて隆盛を誇り、全国から参集する信仰者によって文化の栄えた処である。
明治の神仏分離令によって白山神社、長滝寺、阿名院等に分け、その後明治32年の大火に依り焼失するも、神仏習合の旧観を保ち、雄大な本殿と豊富な文化財を今日に伝へている。」と書いています。
写真は鳥居手前の長滝白山神社、長瀧寺指定文化財の一覧。
古くから伝わる神社だけに、火災から難を逃れた国・県・市指定の文化財を多く所蔵し、それらは社務所のある白山龍宝殿で公開され、白山信仰の歴史を知ることができます。
下の絵図は江戸時代の「白山中宮濃州長瀧寺之図」。
明治の大火で社殿を焼失後、復興されていますが、嘗ての三重塔や鐘楼等はなく、本殿も神明造に変えられています。
養老年間に創建された白山中宮長瀧寺は、天長9年(832)に加賀馬場(白山本宮)、越前馬場(白山中宮平泉寺)と並ぶ美濃馬場として、絵図からは白山登拝の美濃禅定道の拠点として栄えた往時の姿が描かれています。
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参道の鳥居。
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蔵泉坊跡。
参道には写真のようなプレートが置かれ、往事の長瀧寺の伽藍を知ることができます。
ここは宝暦4年(1754)、郡上藩で起きた大規模な百姓一揆「郡上藩宝暦騒動の犠牲者」を偲ぶ宝暦義民碑が建てられています。
海上神明社にも建てられていた宝暦義民碑同様、郡内にはこうした碑が建てられている。
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江戸時代の伽藍図では現在の鳥居あたりが山門になり、瀧泉院は門前にあたるように思えます
そうした事からも境内の伽藍図には記載されていません。
宗派も真言宗とあり詳細や長瀧寺(天台宗)とのつながりは良くわかりません。
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参道に面した経聞坊跡の解説板。
あくまでも参道に面した坊のみであり一部でしかありません。
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参道中程の太鼓橋
毎年5月5日の無病息災を祈願し「でででん祭」が行われるそうです。
白装束を身にまとい、でででん〃と太鼓を打ち鳴らし神輿を担いだ氏子たちがこの太鼓橋を超えて行くそうです。
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護摩檀と金剛童子堂解説。
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太鼓橋の先の参道左に祀られる護摩檀跡(手前の円形サークル)、白山登拝時にここで護摩を焚き祈祷したとされる場所。
息を止めて石を持ち、そのまま堂の周りを三周する事で力を授かる事が出来るとされます。
奥は金剛童子堂。
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稲荷堂。
金剛童子堂の右に祀られています。
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石段右の白山美濃馬場の碑、碑文から一部抜粋。
「霊峰白山の加賀馬場・越前馬場と並び、白山信仰の東海側の拠点美濃馬場白山中宮長滝寺として栄えたこの地は、文永・明治の二度の火災や明治の神仏分離など時代の変還と度重なる災厄を乗り越えて数多くの歴史遺産がある。
社会経済は変貌し、心の時代へと移り、人々は「いやしの空間」を求めるようになった。
中略
貴重な歴史文化遺産の保存活用に努め、後世に末永く伝えることは、我々の責務であり懸案の白山文化の里づくりの事業を完遂することができた。」とある。
文永・明治の二度大火に見舞われているようだ。
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二対の石灯籠の先の境内正面には、西安4年(1302)願主伝燈大法師覚海と彫られた石燈籠、その奥に拝殿がある。
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石段を上った境内入口の狛犬。
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境内北側の全景。
右手が火災により難を逃れた寺宝が保管展示されている白山龍宝殿で、正面が西安4年(1302)の石燈籠。
後方には拝殿と右手に参集殿。
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境内左の手水鉢。
境内は湧水が湧き出ていて、境内に小さな流れを作っています
当社は白山信仰を厚く崇拝した奥州藤原氏と所縁があり、手水舎後方には中尊寺で800年の時を越え発見された中尊寺蓮蓮を株分けしたものが生けられている。
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上
辨天池を潤す延年水、夏でも枯れる事はなく、この地では古くから五穀豊穣、悪疫鎮静のためにこの霊水を神仏に供えるという。
辨天池を潤す延年水、白山参拝者はこの霊水を薬水として利用したとされ、白山頂上の千陀ヶ池から来ていると伝わっています。
夏でも枯れる事はなく、この地では古くから五穀豊穣、悪疫鎮静のためにこの霊水を神仏に供えるという
下
辨天池と弁財天堂、後方が白山長瀧寺大講堂。
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辨天池右側の石段は薬師堂に続きます。
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白山長瀧寺大講堂とその解説。
「白山長滝寺
奈良時代の養老年間(717-24)泰澄の開基と伝え、天長5年(828)法相宗が天台宗に改宗、その後比叡山延暦寺の別院となった。
長滝白山神社と一体で白山本地中宮長滝寺と称し、加賀・越前と並ぶ白山信仰三馬場として栄えた。
全盛時には堂社三十余宇・六谷六院・僧坊三百六十を擁した、明治初年の神仏分離で天台宗白山長滝寺となった。
18間に14間の長滝寺大講堂と内陣の1丈2尺の大日如来像など7仏像は、明治の大火で焼失。
往時の大講堂の偉容は残る礎石によって偲ぶことができる。
「木造釈迦三尊像」「木造四天王立像」「宗版一切経」をはじめ多数の寺宝を所蔵する。」
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寺号の長瀧はここを創建した泰澄が、夢の中で女神から霊泉があるとのお告げを受け、山中に分け入り見つけた阿弥陀ケ滝に由来しています。(写真は2019年の阿弥陀ケ滝)
白山白山登拝の拠点として「上り千人、下り千人、ふもと千人」と云われるほど賑わったと云われますが今はその面影はありません。
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宝篋印塔。
宝篋印塔は本来は経文を納める塔として建てられますが、いつからかこうした形の塔を宝篋印塔と呼ぶようになった様です。
1825年(文政8)に豪潮律師により三千人講が起こされ、1833年(天保4)に建てられたもの。
四面に描かれた梵字は豪潮律師(1749~1835)の筆によるもので、仏画師としても優れ、「釈迦三尊像」、「十六羅漢像」を白山長瀧寺に寄進している。
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境内左から拝殿、本殿の眺め。
入母屋鋼板葺の拝殿の内部は内陣と土間の外陣に分かれ、毎年、1月6日には約1000年の歴史がある国指定重要無形民俗文化財の「長滝の延年」が外陣で奉納されます
その際、格子天井の四角い穴から吊るされた花を奪い合い、これを持ち帰ると家内安全、商売繁盛に御利益があるとされ、「花奪い祭り」と云われるそうです。
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拝殿左の長瀧天満宮。
長瀧天満宮の左奥の「白山千陀ヶ池霊泉」から上に小道があり、往事の三重塔址へ通じており、そこから本殿域を見下ろすことができます。
下の写真は長瀧天満宮の右に祀られている児御前社と竃神社。
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児御前社・竃神社と向かい合う様に東側にも二社祀られています。
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上
本殿全景。
大将軍社、神門は左から越南智社、白山大御前社、別山社の白山三社と本殿域左に大将軍社、右に若宮社が祀られています。
主祭神 / 伊弉那岐大神/伊弉那美大神/菊理媛大神
下
児御前社・竃神社と向かい合う様に鎮座する稲荷神社と神明神社。
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越南智社の左の大将軍社。
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5社が整然と並ぶ姿を収めるのはなかなか難しいようです。
現在の社殿の造りは火災の後に神明造に改められています。
以前参拝に訪れた際、拝殿内で祭礼の準備に追われる中、お声がけして頂いた巫女さんからそのあたりの事情を教えて頂いたり、白山登山の事など色々と話しも弾みました。
幾度か火災にあいながらも守り続ける社殿、並々ならぬこの地に対する誇りのようなものが伝わってきました。
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別山社の右に鎮座する若宮社。
長瀧白山神社
創建 / 717年(養老元年)、泰澄により白山中宮長滝寺として創建(伝承)
祭神 / 伊弉那岐大神/伊弉那美大神/菊理媛大神
境内社 / 児御前社、竃神社、稲荷神社、神明神社、若宮社、大将軍社、長瀧天満宮、弁財天、金剛童子堂、稲荷堂
長瀧寺大講堂
創建 / 718年(養老2)泰澄が法相宗の寺院として創建(伝承)、828年(天長5)天台宗に改宗
本尊 / 釈迦如来像
所在地 / 岐阜県郡上市白鳥町長滝138
公共交通機関アクセス / 長良川鉄道「白山長滝駅」から徒歩1分