玉作湯神社 (松江市玉湯町)
奈良時代に開湯とされる古湯玉造温泉で迎えた島根県最終日。
今日も暑くなりそうな一日のはじまりは、玉造温泉街を流れる玉湯川を車で2.3分程上流に走った先の玉作湯神社へ。
宿から玉湯川上流の眺め、この道を先に進んだ信号の角に玉作湯神社の社頭があります。
玉作湯神社駐車場着。
大型車なら10台ほど駐車できる無料駐車場があり、早い時間帯なら余裕で駐車できます。
写真は駐車場から見る一ノ鳥居。
鳥居をくぐった左側に社務所があり、大きな願いのある方は、こちらで「叶い石」とお守り袋、願い札のセットを購入し参拝に向かいます。
もっとも、黙っていても「叶い石如何ですかぁ」と積極的に声がかかるはずです。
玉作湯神社
「当社は奈良時代の「出雲風土記」天平5年(733)に記される古社で、玉作の神 「櫛明玉命」と国造りと温泉療法の神 「大名持命」と温泉守護の「少彦名命」の三柱を祀っています。
神社境内は国指定史跡出雲玉作跡(宮ノ前地区)の一画にあたり、歌仙山周辺では最古の玉作り遺跡で、弥生時代末から玉作りが行われていました。
江戸時代には「湯姫大明神」、「湯舩大明神」等と呼ばれ、藩主の崇敬も厚く、隣接する玉造御茶屋(松江藩の静養施設)に松江藩主が訪れる際には、必ず玉作湯神社に参詣しています。
藩主から神社へ品々の寄進もあり、それらは現在も玉作湯神社に保管されています。
明治時代以後、天皇即位の式典に際しては、ここで作られた瑪瑙・碧玉製品が献上されていた。」
祭神の櫛明玉命は、三種の神器の一つ、八尺瓊勾玉をこの地で造られたと伝わり、神社には多数の勾玉や管玉が社宝として保管されているという。
延長5年(927)の延喜式神名帳の記載は「玉作湯神社」が1座、「同社坐韓国伊太氐(からくにいたて)神社」の2座とあり、櫛明玉命が玉作の神、大名持命と少彦名命が温泉守護の神。
それぞれ「出雲国風土記」(天平5年)に記された「玉作湯社」と「由宇社」に比定されるという。
また、永禄元年(1558)の棟札に「湯姫大明神」、享和3年(1803)には、7代藩主の松平治郷より「湖南玉造薬泉神社」銘の額が奉納されており、明治維新後、社号は「玉作湯神社」に戻されたという。
また、配祀神の「五十猛神」は往古の坐韓国伊太氐の祭神。
ニノ鳥居と左に二つの石標があり、柱の左の「神陵之杜」と記された石標は大正12年に寄進されたもの。
更に上を見上げた自然石が社号標で「式内 玉作湯神社」と記されています。
社殿は正面の石段を上り切ると見えてきます。
石段から上の眺め、石段中ほどに踊り場があり、文久二年(1862)寄進の石灯籠と狛犬が安置されています。
寄進年未確認の狛犬。
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2024年5月23.24.25日と出雲の國を訪れ、一泊は車中泊、二泊目は玉造温泉に宿泊し出雲大社、意宇六社等を巡って来ました
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