富山県高岡市「大佛寺・高岡大佛」
富山県高岡市大手町11-29
高岡古城公園の『護国神社』を後に駐春橋を渡り、大仏前通りを300㍍程歩いて行きます。
高岡大仏のある「大仏寺」は交差点の左角。
交差点から左を見ると御覧の通り巨大な高岡大仏が目の前に。
山門こそないながら参道両脇には大きな仁王像が安置されている。
1968年に建立されたスタイリッシュな仁王像。
比較的穏やかな表情ですが、仏敵は一切入り込ませない強い意思が伝わってる。
本当に怒らせた時この表情はどう変わるのかそれが逆に怖い。
境内の燈籠と左に大仏寺が見えてくる。
燈籠の左に鐘楼があります。
高岡市指定文化財の「時鐘」と呼ばれる素朴な鐘楼です。
梵鐘。
飾りのない素朴なもので、随分使い込まれた感じが漂う。
1806年(文化3)に鋳造されたこの梵鐘、実は二代目なんだそうな。
初代は1804年(文化元年)だという、僅か2年で改鋳が必要になったようですが理由までは分からない。
初代も2代目も目的はひとつ、当時の高岡には時を知らせる時鐘がなかったという。
当時の高岡町奉行の寺島蔵人は町民が秩序を保った規則正しい生活が送れる事を望み町民の為に時鐘を作りたかったようだ。
以来この鐘は毎日午前6:00と午後6:00の2回毎日時を知らせ続け現在も現役で働き続けている。
そんな梵鐘も1879年の大火で被災し梵鐘は櫓を失くし、場所を変えて時を告げ続けたそうだ。
その後も1900年の高岡大火で再び被災、一時は時を告げる事はなかったようですが1931年大仏寺に移され再び高岡の町に時を告げるようになったそうだ。
戦時中の供出に合う事もなく、幾度の大火から蘇ってきた梵鐘、なにか不思議な力を持っているようだ。
時鐘の解説。
大仏寺は昭和3年に開かれた高岡新西国三十三観音札所の二十九番札所で霊場御本尊の「馬頭観世音菩薩」の石仏が祀られ、その他にも複数の石仏が安置されています。
「馬頭観世音菩薩」
大仏寺扁額
山号は風徳山、宗派は浄土宗。
開基等詳細は分からないが梵鐘同様に大火で被災し、1745年に再興される以前は一時荒廃したようです。
「高岡大仏」
高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像で、日本三大佛に数えられ幾度も造立され、現在の物は1933年(昭和8)の造立されたもの。
1221年源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立された事から始まり、与謝野晶子は高岡を訪れた際に、「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わる端正な顔立ちの大仏です。
日本三大佛は奈良の大佛、鎌倉の大佛、残りは高岡大佛、岐阜大仏、東京大佛など諸説あるようです。
三大佛だろうが、なかろうが、高岡大仏のこの優しい表情はそれだけで誇れるものだと思う。
ここまで来るまで、見る角度によって大佛の表情が変わっていく様に見える。
台座直下から見上げるその眼差しは、優しい穏やかな眼差しで見守られているような気になる。
なんだか変なご時世のなか、日常生活ではついつい目は△になりがちだ。
あるべき姿がこの表情なのかもしれない。
高岡大佛仕様と文化庁解説。
高岡市の指定文化財に指定されている。
高岡大仏の台座の下は回廊になっていて、自由に入る事が出来ます。
回廊内は阿弥陀三尊像や戦後の高岡在住画家の描いた仏画や、大火で類焼した2代目大仏の焼け残りとされるご尊顔が安置されています。
現在の大佛は鋳造佛、想像図ではあるけれどその工程は大変な作業だったことは容易に理解できる。
廻廊入口付近の様子、聖徳太子となで仏が安置されていた。
1900年(明治33)の高岡の大火で 金箔の舟形光背に千体佛を配した木造の大佛は顔を残し焼け落ちてしまった。その焼け残りがこのご尊顔。
顔を取巻くように配された掛け佛は十二の恩徳を表わし、1933年(昭和8)の再建の時に大佛の光背に掛ける予定で鋳造されたものですが、計画は中止となり、1981年(昭和56)の昭和大修理の時に周りに並べ祀ったもの。
少し離れるとまた眼差しも変って見える。
2021/3/23
大佛寺
山号 / 風徳山
寺号 / 大佛寺
本尊 / 阿弥陀如来
宗派 / 浄土宗
開基 / 不明
札所 / 高岡新西国三十三ヶ所観音霊場 第29番
所在地 / 富山県高岡市大手町11-29
護国神社から徒歩アクセス / 大仏前通りを徒歩5分程
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