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能登國一之宮氣田大社 其の2 「亀鶴蓬莱山 正覚院」

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亀鶴蓬莱(きかくほうらい)山 正覚院

前掲載した能登國一之宮氣田大社からの続きになります。
正覚院は氣田大社の西隣に隣接し、歩いても1~2分。
鶴亀蓬莱山 正覚院は石川県羽咋市寺家町に境内を構える高野山真言宗の寺院です。
気多大社の旧神宮寺で本尊は大日如来です。

最初に視界に入るのが黒瓦葺の鐘楼。
一見地味に見えますが各所に彫りが施され、瓦には加賀梅鉢の紋も入る。
山門へはここから右に進みます。

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正覚院山門
黒瓦の四脚門で右奥が庫裡、左が本堂。

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山門から本堂の眺め

正覚院の創建ははっきりしない、718年(養老2)、白山を開山した泰澄大師が伊勢内外宮を参拝しての帰り、夢想の歌「恋しくば尋ねても見よ能く登る一つの宮の奥の社へ」とのお告げを受け、氣田神宮寺を創建したと伝えられている。

855年(斉衡2)に亀鶴蓬莱山気多太神宮寺の勅号を賜り、以来氣多大社(能登国一之宮)の神宮寺として寺運が隆盛しました。

往事の氣田多神宮寺は正覚院を初め、長福院・地蔵院・薬師院等多くの神宮寺や坊があったが、明治政府による神仏分離により廃絶の道を辿るが、正覚院のみが存続し独立の道を歩んできました。

仏式を廃された氣多大社で保管されていた重要文化財の阿弥陀如来坐像や多くの仏像など、幸いにも正覚院に引き継がれ寺宝として継承されている。

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本堂全景。
黒瓦葺で葺かれ棟飾りにも加賀梅鉢の紋が輝いている。
唐破風向拝の木鼻や虹梁などにも彫が施され、落ち着いた佇まいでありながら拘りを感じる。

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境内左に多宝塔、参道はその先の鐘楼と観音堂に続きます。

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境内左の全容。
雪深い地域に来ると黒瓦を目にすることが多いけれど見事に統一されています。
小さな鐘楼ですが降り棟瓦の立派な事。

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正覚院庭園中央の由緒

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護摩堂
2007年(平成19)に手が入れられたようです、右手は白寿観音像、左奥に赤い宝物殿。
白寿(ボケ封じ)観音写経奉納
「願わなくとも花は咲く だがいくら願っても咲いた花なら散っていく 後で必ず実を結ぶ誰もが一応は通らなければならない老いの坂道で 道に迷わず まわりの皆と共に幸せでありますように願う・・・・・・惜しまれるような良い思い出をこの世に残していきたいものです」
最近こうした言葉が浸みるようになってきた、老いの坂道を実感する毎日です。

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護摩堂から左へ進み楼閣方向へ。
黒瓦と白漆喰、そして木の色合い、上品な佇まいです。

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宝物殿を横目に見ながら先に進めば駐車場に戻ることが出来ます。
高台の駐車場から先は日本海が広がります。

広大な駐車場に車が少ないのは寂しい限り。
とはいえ、祭礼でもないのにごった返す姿がいいかというとそうでもない。
氣田大社も正覚院も静寂さが似合っている。
2021/3/24

亀鶴蓬莱(きかくほうらい)山 正覚院
創建 / 不明 
宗派 / 真言宗
本尊 / 大日如来
札所 / 北陸白寿観音霊場 第19番、能登国33観音札所 16番札所
所在地 / 石川県羽咋市寺家町ト92
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