出雲大社 『神楽殿、境外摂社 大穴持御子神社』
出雲大社3回目の今回は、大注連縄で知られる神楽殿とその右側を流れる素鵞川の上流に鎮座する境外摂社 大穴持御子神社を掲載します。
上は出雲大社境内図で赤枠部分が訪れた所になります。
神楽殿へは社務所北側の参道を西に向かい、素鵞川を渡れば神楽殿の社標の前に続きます。
往古の出雲大社本殿と同じ高さの国旗掲揚塔の南には写真の祓社、金刀比羅宮の二社が鎮座します。
写真は境内から二社を見ており、手前が金刀比羅宮、奥が祓社となります。
祓社。
二ノ鳥居の下り参道右に鎮座する祓社と同様で、瀬織津比咩神、速開都比咩神、気吹戸主神、速佐須良比咩神の祓戸四柱を祀っております。
違いがあるとすれば、由緒の下の因幡の素兎をモチーフにした兎があるかないかだと思います。
この兎出雲大社境内にはデザインの違う66羽の兎像があるようです。
祓社は平成26年(2014)に創建された新しい社で、由緒・祭日の内容は下り参道の祓社の由緒と内容は同じです。
祓社の左に鎮座する金刀比羅宮。
ここにはこんぴら船に乗った2羽の兎の姿があります。
由緒は以下。
祭神 大物主神
大物主神は大国主大神の別名で、大国主大神の幸魂・奇魂とされ、神名の如く万物の根源を司る神様で
殖産・医薬・技芸の御利益があり、漁業や航路安全の御神徳があるとされます。
祭日 4月1日。
神楽殿。
本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、「風調館(ふうちょうかん)」と呼ばれ、明治に入り、出雲大社教設立後は出雲大社教の神殿としても使用され、祈祷や結婚式などの祭事行事が執り行われる場所です。
内部の広さは270畳もあるという。
神楽殿は元々は風調館という千家国造家の大広間として使われていた場所で、昭和56年(1981)に現在の巨大な和洋折衷の建物に建替えられたもの。
出雲大社の第一印象と云えば、大注連縄が思い浮かびます。
その大注連縄は神楽殿の向拝の下に吊るされたものを指します。
大社の拝殿でも書きましたが、吊られた大注連縄の大きさが約6.5㍍、重さは1.5㌧あり、全長はミニバンより大きなものでした。
この神楽殿の大注連縄は長さで倍、重さは5倍と観光バス並みの巨大なものになります。
その注連縄を吊るす吊り木も半端なものでは耐えられません。
飯南町産の根元の太さ65㌢以上、長さ20㍍以上の真っ直ぐな檜が使われるそうです。
大注連縄に吊り下がる三つの円錐形のものは〆の子と呼ばれるもので、〆の子ひとつの大きさが直径1.7㍍、高さ2.1㍍、重さ300㎏あるそうです。
向拝下から神楽殿の眺め。
左右の大きな狛犬とその上の大きな額が視界に入ってきます。
額には神光満殿と書かれています。
神の光が満ち溢れる神殿と捉えればいいのかな。
建物が和洋折衷と書いたように、神社としては異例とも思えるステンドグラスが入れられています。
木造狛犬。
対比するものがないので実感はないが、恐らく人の身の丈を越える大きなものだろう。
出雲大社では兎や亀は良く見かけますが、狛犬の姿はあまり見かけません。
神楽殿の右の軒下を奥に進むと神楽殿後方の神座と鎮守社に続きます。
鎮守社は出雲大社境内摂末社には該当しない宮司家の祖先神や天満宮などが祀られています。
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2024年5月23.24.25日と出雲の國を訪れ、一泊は車中泊、二泊目は玉造温泉に宿泊し出雲大社、意宇六社等を巡って来ました
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