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出雲大社 『北島出雲国造館』

今回は大社の右手を流れる吉野川の対岸にある北島出雲国造館を紹介します。
北島出雲国造館へは銅鳥居から吉野川を渡り、社家通りを1・2分進んだ左側にあります。

この北島出雲国造館からさらに東へ進むと、出雲大社境外摂社の神魂伊能知奴志神社に到着します。
私は訪れることができませんでしたが、北島出雲国造館からはわずか2~3分程度の距離にあったようです。

出雲教 北島出雲国造館大門。
外観からは、それが寺なのか神社なのか判断が難しいです。
大門の左には宗教法人出雲教の木札が掛けられています。

往古の出雲大社の出雲国造家は南北朝時代まで一子相伝で継がれてきました。
ある時期から、千家家と北島家の二家がともに出雲国造を名乗り、祭祀を分担していたようです。明治以降は、千家家が大社の宮司を務めるようになりました。
併せて神仏分離により千家家は出雲大社教、北島氏が出雲教と独自の布教活動を立ち上げ全国に広められて行き、出雲教は天穂日命の子孫、出雲國造北島家に伝わる祭祀の道に従い、御神徳を人々に広め、導くことを主な目的として明治15年に設立されたという。

こうした継承に纏わる話は身近にも大なり小なり起こります、大社の宮司継承に関する内容は参拝に訪れた者には理解しにくいものかもしれません。
そうした問題からか、大社の境内マップには北島出雲国造館の名はありますが、施設などは記されていません。

社家通り沿いの北島国造館大門の解説。
松江藩主 松平定保が安政6年(1860)に武運長久、子孫繁栄、国土安全、如意満足を記念して奉納されたもの。
正面の大注連縄は寛永元年以来、出雲市灘分町、平田町の龍神講社より奉納を受けたもので、長さは5.5㍍で中央の太さは約3㍍ある。

大門をくぐり境内に入ると、大きな注連縄が架けられた建物が神殿になります。
現在の神殿は昭和30年(1955)に建てられたもので、古くは出雲大社の背後に聳える八雲山の麓にあったようですが、寛文4年(1664)の正遷宮う境内拡張に伴い八雲山々麓の旧宅から現在の亀山々麓の現在地に移転しました。

神殿左の出雲教由緒は以下のように書かれています。
「出雲教は天穂日命(神代の昔出雲大社創建のとき御神勅により大神様に神勤奉仕された天照皇大神の第二の御子神)の正系の子孫出雲国造北島家に伝わる祭祀の道を通し、大国主大神の御神徳を広く世に広めることを主たる目的とする神道教団です。

教団としては明治13年、出雲大社の崇敬講として設立された「出雲北島教会」に始まり、戦後昭和27年に宗教法人「出雲教」として認証を受け今日に到っています。

出雲教は幽事をつかさどられる大国主大神様にお仕えしお祀りするという出雲大社創建の精神を基としています。
そして出雲大社という神社と、その御神徳を拡める教団としての出雲教を区別し、北島国造館に総本院を置いて全国各地に分院教会を設け布教活動を行っている」

神殿には大国主大神、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、天照皇大神、天穂日命、産土大神を祀ります。

大注連縄から神殿内の眺め、折しも朝拝が行われていました。

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2024年5月23.24.25日と出雲の國を訪れ、一泊は車中泊、二泊目は玉造温泉に宿泊し出雲大社、意宇六社等を巡って来ました

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