『眞名井神社』意宇六社 4/6
玉造温泉街から国道9号線で東に向かい、松江市山代町に鎮座する意宇六社『眞名井神社』までは20分程の移動時間。
鎮座地周辺は一面に水田が広がる長閑な光景が広がっています。
社頭から南に伸びる道路は400㍍の直線道路でしかも一方通行、車道というより農道なんだろうか。
中央には松が植えられ、なんだが参道の様にも見えます。
まさにこれは眞名井神社の参道で、以前は水田の中に神社に続く立派な松並木が連なっていました、それも松枯れにより荒廃し、かつての姿を取り戻すため、道路を整備し松を植樹したものと言う。
この道を南に向かうと意宇川の堤防道路に突き当り、往古はこの川で禊をして神社に参詣たのかもしれません。
神社には参拝駐車場はありません、車は道路左側の空き地に止めるといいかもしれません。
眞名井神社の社頭方向の眺め。
社頭の前を県道247号線が横切っており、目の前の茶臼山の南麗に社頭を構えています。
背後の茶臼山(標高171㍍)は松江平野を見渡せ、地の利を生かして山城も作られたようです。
県道から眞名井神社社頭の眺め。
歩道際の植木が蕃塀の様に前方を遮り、大きな杜の影になり社頭は意外に分かりづらい。
道路からだと右手の大きな自然石の社標が目印となるか。
社頭全景。
手前に一対の狛犬と木造の明神鳥居、石段の上り口の両脇にも一対の狛犬が安置されています。
社頭を守護する狛犬(年代は不明)。
鳥居左手の手水「真名井の手水」
今の眞名井神社、出雲風土記では、神祇官社に眞名井社、不在神祇官社に末那為社が載っており、神祇官社が本社にあてられ、不在神祇官社は境内社があてられ、元は近くの眞名井の滝に鎮座したとされます。
その眞名井の滝は社頭前の県道を右手に進み、茶臼山へ少し分け入った辺りにあるらしいが入口が良く分からなかった。
この手水はその眞名井の滝から引かれているものだろうか。
眞名井神社鳥居から石段と拝殿方向の眺め。
上り口に青竹の杖が置かれていますが、そこまで急な坂ではないので大丈夫かな。
ただ不規則な石積みの石段は、角が取れて滑りやすいので足元だけはよく見ていく必要がある。
石段上り口の苔むした狛犬。
年代は不明、先の狛犬と比較すると年代は古そうです。
上り口から拝殿に続く石段の眺め。
石段を上ると一対の狛犬の先に拝殿が建てられています。
こちらの狛犬も年代未確認。
拝殿から本殿域の眺め。
四方吹き抜けで梁間・桁行三間のシンプルなもので、礎石の上に柱を建てただけで床はなく、昭和9年(1934)に建てられたもの。
拝殿右に神職常駐の社務所と神楽殿。
神紋は二重亀甲に「有」の文字がはいる。
社務所右の真名井神社解説。
「県指定建造物 真名井神社本殿
昭和49年12月27日指定
社殿は本殿、中門、拝殿、神楽殿、境内社から成る。
本殿は大社造り檜皮葺きで周囲に透塀をめぐらす。
祭神は伊弉諾尊、天津彦根命(山代直の祖)
当社は出雲国風土記にいう「真名井社」、延喜式に記す「真名井神社」で古い歴史をもつ意宇六社の一社である。
背後の山は神名樋山で出雲国内四神名樋山の一つで東南麓に真名井の滝を存す。
中世・近世は「伊弉諾社」として知られていたが明治以後は旧号に復し村社に列さられていた。
現本殿は、寛文2年(1662)の軸立で、内殿は正面に向っている。
殿内には彩色絵がある。
拝殿は昭和9年に新築された土間床の造り。
境内社には末那為神社(向って右)、児守神社(向って左)、宍道若宮社、山代神社、荒神社が合祀してある。 なお、神紋は二重の亀甲に「有」の字。祭日は10月17日である。」
出雲国造家と特別な関係にある「意宇六社」の一つ眞名井神社は出雲國風土記の4つの神備の一つ神名樋野(現在の茶臼山)の南東に鎮座し、社記にも「背後に聳える茶臼山は地元ではかんなび山」と記されているようです。
神備とは神様が隠れ籠るところの意味で、昔の人々から特別な信仰対象として崇められて来た山で、旧鎮座地の眞名井の瀧(見付けられなかった)あたりだと云う。
神名樋、出雲国風土記の神名樋の山は4ヶ所が記されています。
・意宇郡の神名樋野 松江市の茶臼山 眞名井社。
・秋鹿郡の神名火山 松江市の朝日山 佐太大神社。
・楯縫郡の神名樋山 出雲市の大船山 多久ノ社。
・出雲郡の神名火山 簸川郡斐川町仏経山 (曽支能夜社)
これらの神名樋の山を地図に落として見ると、宍道湖と出雲平野を見守るように神の宿る山が聳えているのが分かります。
社務所右から見る拝殿と大社造りの本殿。
本殿域と右手の境内社の眺め。
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2024年5月23.24.25日と出雲の國を訪れ、一泊は車中泊、二泊目は玉造温泉に宿泊し出雲大社、意宇六社等を巡って来ました
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