見出し画像

松江市八雲町『志田備神社』

熊野大社から県道53号線を少し戻り、西岩坂農道(国道432号線方向)に入り桑並大橋を渡り切ったら左に進み、三叉路で左に進みます。
三叉路に志田備神社の看板が出ているので、それに従えば八雲町西岩坂地内に鎮座する神社に辿り着けます。
ただ、社頭が幹線道路から少し東に離れているので、目標は道路沿いの桑並ポケットパークになります。
ここに車を駐車して田んぼの中を少し歩けば社頭です。
熊野大社から移動時間は約10分程になります。

上は桑並ポケットパークから社頭方向の眺め。
写真の桑並集落の東に見える里山が鎮座地で、田んぼの先の杜の入口に白い鳥居の姿が見えると思います。
近くまで車で行きたいところですが、農道に駐車余地はなく、作業の邪魔になるので諦めて歩きましょう。
田んぼや水路にはオタマジャクシにどじょう・小魚の姿も見られ、稲田の上を吹き抜ける風は心地いいものですょ。

田んぼの先の杜にぽっかり開いた参道と鳥居が近づいてきた。
こうした所には当然のように蛇や得体の知れない獣もいるはずです。
かみさんは杜の日陰を求め一人でがんがん先に行くのはいいが、すぐには駆け付けられない。

社頭から境内方向の眺め。
石段の先に石造明神鳥居、手前に狛犬と自然石の常夜灯、右に社標があります。
さらに上方に随神門と社殿が見えています。

鳥居の先でかみさんの足は止まり、なにやらじっと上を眺めています。

右は志田備神社社標と阿形、左が吽形と常夜灯。
いずれも寄進年は未確認ですが、相当な年月を経ているようです。

鳥居の額は「志田備神社」
実は熊野大社の観光マップに志田備神社とシイの巨木の案内があり寄ってみました。
右手に聳えているのがスダジイの古木、どうやらこの樹に見惚れていたようだ。

志田備神社随神門と社殿の眺め。
石段の右に小幹がありシイの巨木に通じています。

境内には一際巨大なスダジイが二本聳えており、御神木は境内の右側に更に風格のある巨樹が聳えており、樹齢は300年以上とされます。

石段脇のシイ。
樹齢何年か定かではないですが、この樹だけでも自然への畏敬の念を抱きます。
幹の一部は空洞になり、土に戻ろうとしていますが、枝は緑の葉を茂らせ樹勢は衰えていません。
この堂々とした姿は、ただの樹ではなく精霊や白蛇の存在を信じたくもなる。

ここから随神門と拝殿の眺め。

石段の前には苔生した狛犬と注連柱がある。

出雲形の狛犬の寄進年は未確認ですが、かなり年季は入っているようです。
志田備神社は巨大なスダジイに注目を浴びますが、志田備神社そのものは出雲風土記(733)や雲陽誌(1717)などにも社名が見られるかなりの古社で、訪れる価値のある神社だと思います。

随神門の奉納額。
年代は不明ですが、以前は4枚に絵が描かれていたと思われます、今は二枚しか残っていません。
顔料の色は鮮やかに残り、中央は弁慶と左は牛若丸を描いたものと思われます。
年代は不明ですが、全て揃っていないのが残念です。

拝殿から入母屋銅葺屋根の随神門。
境内に由緒はなく、創建時期やその他詳細は不明です。
雲陽誌には、西岩坂桑並部落の中央山腹に位置し、王子権現といわれていたが、尼子の兵火により古文書宝物等は残っておらず、出雲風土記写本にも志田備社として名が現れます。
また、志田備神社には応永10年(1403)「磐坂桑並志多美権現一宇」と書かれた棟札を所蔵するそうです。
慶長10年(1605)の「岩坂桑次王子権現社一宇」と書かれた棟札も残るようで、一時期において志多備神社は王子権現とも称されたようで、現在の志多備神社に改称された時期が明治35年(1902)と云う事なので神仏分離政策により出雲風土記当時の志田備社に立ち戻ったと思われます。
社殿の改築歴も定かではなく、随神門はじめ社殿の屋根だけ見れば最後の改修からさほど経過していないかもしれません。

拝殿正面全景。
切妻平入の拝殿も屋根は葺き替えられているようです。

社殿東側から見た全景。
切妻平入拝殿と幣殿が、大社造の本殿を繋いでいる、手前の大社造の境内社は社名不明。

島根県神社庁による解説は以下。
「御祭神
祭神 伊弉諾尊、伊弉册尊
例祭 10月9日
御神徳 五穀豊穣・諸業繁栄・家内安全・開運厄除・延命長寿
由緒・特殊神事 
雲陽誌には王子権現といわれていた。境内には日本一大きいスダジイの木があり、この地区の荒神様の依代として崇められ、10月9日には総荒神として30mほどの大蛇を作りお祭りを行っている。」

境内社については詳細は不明ですが、神社庁の情報以外に配祀神に天照大神、月夜見命、保食命、天能利刀神を祀るようです。

大きな社殿ではないかも知れませんが、高く聳える樹々に包まれ、静寂の中に佇む社殿の姿は神々しいものがあります。

本殿は外削ぎの置き千木と3本の鰹木で、手前の不明社は内削ぎの置き千木と3本の鰹木が載り、鬼や棟飾りには五三桐の紋が入る。

境内の日本一大きなスダジイについて解説は整備されていますが、古くから意宇郡西磐坂集落を見守り続けている神社の由緒についても整備されるといいのだが。

さて、日本一のスダジイを拝むとしよう。
上は境内右のシイの解説。
「村指定天然記念物
スダジイ(二本)
このスダジイは、桑並地区を守る総荒神が宿る神木です。
胸高周囲十一・四㍍、樹高約二十㍍で、樹幹は地上三㍍にあたりで九本に分かれ(一本は枯れている) 四方に枝葉を広げています。
枝張りは、東西約二十㍍、南北約三十三㍍で、樹齢は確かでなく推定数百年と言われている日本一のシイの巨木です。
志田備神社参道傍にあるスダジイは、胸高周囲六㍍、樹高約十八㍍、枝張りは東西約十七㍍、南北約十九㍍です。
神社の周囲一帯は、スダジイの森になっており、学術上でも貴重な存在として残っています」

古くから西磐坂集落の荒神様の依代として崇められ、10月9日には総荒神として、藁を綯い30㍍ほどの縄の大蛇を作り、このシイの幹に巻き付けるお祭りが行われるという。

シイの幹周り。
蛇のようにうねうねと枝が四方に分かれ、それらが上下左右に広がり、この一本だけでも一つの森を形作っています。
すぐ下には石段脇のシイが聳えており、集落から見る志田備神社の杜はこの二本により形作られているといっても過言ではありません。
出雲の国の八岐大蛇伝説を感じさせるかのように、幹には朽ちた縄の大蛇が絡みついています。
神社とともにこの集落と人々を守ってきた神の宿る樹だ。

枝は横に広がり、何本かの支え木なしにはもはや自立できない程。
志田備神社やこの老木を支えているのは、支え木ではなく、この集落の僅かな世帯の氏子達が支えている。

御神木の周辺には、敷き詰められたようにシイの実が落ちており、踏みしめるとカリッ〃と乾いた音がする、今は人も獣も食べる事もなくなり、食べ方も忘れられていくのかもしれない。

稲田から眺めるスダジイの姿、一本の樹がお椀を伏せたように見事な丸い形見せている。

志田備神社 
創建 / 不明
祭神 / 伊弉諾尊、伊弉册尊
御神徳 / 五穀豊穣、諸業繁栄、家内安全、開運厄除、延命長寿
例祭日 / 10月9日
境内社 / 不明
所在地 / 島根県松江市​八雲町西岩坂1589​
参拝日 / 2024/05/24

ここから先は

0字

2024年5月23.24.25日と出雲の國を訪れ、一泊は車中泊、二泊目は玉造温泉に宿泊し出雲大社、意宇六社等を巡って来ました

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?