見出し画像

郷中 神明社

往古は大きな伽藍だった久昌寺の南に鎮座する神明社。
この神明社は今も当時の場所に今も鎮座しています。

画像1

上は尾張名所図会(おわりめいしょずえ)に描かれた久昌寺の伽藍。
尾張名所図会は、天保9年(1838)から天保12年(1841)まで約3年をかけて執筆され、天保15年(1844)に刊行された尾張国八郡の名所が描かれた地史。
尾張藩士岡田文園と枇杷島橋の橋守役を務めていた野口家8代目野口梅居、尾張藩士で画家の小田切春江や師に当たる森高雅が挿絵を描き、当時の目線で調べた結果や情景が記されている。

現在、周辺は水田も減少し住宅が広がり、当時の面影は久昌寺の西側に残っています。
挿絵右下の着色した部分が神明社、今も当時の場所に変わることなく鎮座しています。

ここから先は

1,405字 / 9画像
2022年生駒家の菩提寺『嫩桂山 久昌寺』が取り壊しとなります。 当たり前の様にあったものが忽然と姿を消し、やがて記憶からも消えていきます。 いつか『嫩桂山 久昌寺』を振り返った時のお役に立てれば幸いです。

信長最愛の女性とも云われた生駒吉乃。 1384年創立以来、生駒家の菩提寺として存続してきた『嫩桂山 久昌寺』も長い歴史に幕を閉じる時が来た。

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?