郷中 神明社
往古は大きな伽藍だった久昌寺の南に鎮座する神明社。
この神明社は今も当時の場所に今も鎮座しています。
上は尾張名所図会(おわりめいしょずえ)に描かれた久昌寺の伽藍。
尾張名所図会は、天保9年(1838)から天保12年(1841)まで約3年をかけて執筆され、天保15年(1844)に刊行された尾張国八郡の名所が描かれた地史。
尾張藩士岡田文園と枇杷島橋の橋守役を務めていた野口家8代目野口梅居、尾張藩士で画家の小田切春江や師に当たる森高雅が挿絵を描き、当時の目線で調べた結果や情景が記されている。
現在、周辺は水田も減少し住宅が広がり、当時の面影は久昌寺の西側に残っています。
挿絵右下の着色した部分が神明社、今も当時の場所に変わることなく鎮座しています。
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