加賀國一之宮『白山比咩神社』
越中國、能登國、加賀國一之宮を車中泊で巡ってきましたが、今回の加賀國一之宮白山比咩神社で終わりとなります。
前回掲載した能登國一之宮氣田大社 其の2 「亀鶴蓬莱山 正覚院」から、車で1時間30分程度の移動時間で石川県白山市の白山比咩神社に到着する事が出来ます。
白山比咩神社
花の山として知られる霊峰白山を御神体とする、全国3000余社の白山神社の総本宮であり、加賀國一之宮
として古来より崇敬されてきた神社です。
白山比咩神社の参道は、県道103号線沿いに大きな駐車場を備えた北参道と南参道、そして手取川沿いから続く表参道の三か所があります。
写真は表参道の一ノ鳥居。
神域の玄関にあたり、そこに構えられた石造りの明神鳥居は、1936年(昭和11)に建てられたもの。
もともと白山比咩神社には長らく鳥居がなかったそうで、白山七不思議のひとつと云われていました。
鳥居を過ぎた参道脇に由緒書き。
「白山本宮 加賀一之宮白山比咩神社
御祭神 白山比咩大神(菊理媛神)、伊弉冉尊、伊弉諾尊
当社は霊峰白山を御神体として生きとし生けるものの「いのち」の祖神である白山比咩大神をお祀りした事に始まる。
神祠の創建は崇神天皇の七年(紀元前91年)と伝えられる延喜式内の名社である。
古来「下白山」と称えられた当社は現在「白山本宮」「加賀一ノ宮」として仰がれ「白山さん」として親しまれる北陸鎮護の大社。
旧社地は北陸鉄道加賀一ノ宮駅前の古宮公園の安久濤の森だが文明12年(1480年)大火により四十有余の堂塔伽藍を焼失。
その後は末社三宮神社の境内の現在地に遷座、本宮鎮座の地として現在に至る。
明治維新の後「白山天嶺」を奥宮「下白山」を本社として「国幣中社」となるが、終戦後の今日は全国三千有余を数える白山神社の総本社として「白山信仰」の中心として家内安全・延命長寿・五穀豊穣・大漁満足・商売繁盛・交通安全・縁結びなど広大なる御神徳を仰がれている。
白山奥宮は1,700㌶の境内を中心とする国立公園白山は春山・夏山・秋山とし5月から10月までの6か月間登拝のため開山されます」
霊峰白山へは加賀・越前・美濃の3国それぞれから山頂に至る禅定道があり、加賀禅定道(白山比咩神社)、美濃禅定道(長瀧白山神社)、越前禅定道(平泉寺白山神社)と呼ばれ、それらは三馬場として栄えたがいずれも神仏分離により衰退していった。
上
そこから先の参道は杉や欅、楓などの杜に包まれた表参道が続き、中ほどには琵琶瀧などあり「水」の豊かさを感じることが出来ます。
下
ニノ鳥居前から一の鳥居方向の眺め、右手に続く石段は北参道へと続きます。
ニノ鳥居と手水舎。
目の前の石段を登ると境内に繋がります。
右手は杉が生い茂り、切れ堕ちるような斜面が手取川に向かって続いています。
自然石を積み上げた手水鉢、正面の龍口からは絶え間なく水が湧きだし、森の豊かさを感じさせる。
この空間は参道を登って火照った体に一時の清涼感を与えてくれる。
ニノ鳥居から最後の石段を眺める。
周囲の緑に溶け込み存在感を感じないけれど、狛犬もいる。
どちらも山の斜面の過酷な場所に台座が作られ、その上に苔むして緑色になった小さな狛犬が見つめている。奉納年度は不明です。
三ノ鳥居
ここからは平坦となり左の神門の先に境内が広がり、神門の手前を左に進むと北参道を経て、北駐車場に続きます。
神門の傍らに社が見える。
荒御前神社
神門の傍らに鎮座する境内摂社の荒御前大神。
一見社流造の社には荒御前大神、日吉大神、高日大神、五味島大神の四神が祀られています。
荒御前大神は『日本書記』の中で、神功皇后の朝鮮半島出兵の際、それを守護する神として登場します。
三間八脚の神門に神馬舎が繋がり、左手に北参道に繋がる玉垣門へ続く。
神門から眺める外拝殿。
神馬舎
神門右にあり白山麓の大欅を素材にして作られた神馬が安置されています。
均整の取れた神馬は絢爛豪華な装飾が施され、白山比咩大神を乗せて白山に登拝するといわれる。
白山比咩神社拝殿から本殿方向の全景。
切妻造りの平入、檜造りの優美な姿の外拝殿の破風屋根と後方の妻入りの直会殿の屋根が見せる曲線は綺麗なものがあります。
もとは、1920年(大正9)に建てられた旧拝殿、1982年(昭和57)の増改築で外拝殿になりました。
その後ろに、直会殿、拝殿、幣殿、本殿までが一直線に並びます、本殿の姿は窺えない。
拝殿前の狛犬から社務所方向の眺め
拝殿前を守護する狛犬は角付きで逞しいシルエットをしています。
外拝殿唐破風向拝。
大きな注連縄が吊るされ、木組みには派手な飾りや彫は施されていないシンプルなもの。
拝殿扁額と下は拝殿から幣殿の眺め。
神紋は「三子持亀甲瓜花」、このご神紋の意味は「生命がますます栄えるめでたさを象徴し、家運長久・子孫繁栄・神人和楽のしるし」とされるようです。
拝殿と幣殿は一体化し、本殿へは30段の木階登廊で結ばれているという。
ご祭神の白山比咩大神(菊理媛尊)を祀る本殿は、江戸時代の1770年(明和7)、加賀藩10代藩主前田重教の寄進によって造営されたもの。
加賀禅定道として栄えるが、室町時代中期以降は一向一揆により一時衰退しましたが、信長によりそれらが一掃され、領主となった前田家から厚く庇護され、江戸時代に入り加賀藩主となった前田家からも引き続き庇護を受け栄えたという。
それも明治の神仏分離令と修験道廃止令の執行に伴い、別当寺院だった白山寺は廃寺となり、他の馬場同様の道を辿り、社号も白山比咩神社へ改めた。
手前の遊神殿から社務所方向の眺め。
白山奥宮遥拝所
神門をくぐり右に鎮座し、遠く離れた険しい白山山頂の奥宮を拝む遥拝所。
鳥居の先に注連縄が架けられた大きな岩は、「白山三山」大汝峰、御前峰、別山の形をしているという。
毎月1日と15日の月次祭(つきなみさい)では、神職による遥拝が行われるそうだ。
左手の参道を進むと南参道、住吉社、禊場などを経て南駐車場に繋がっている。
鳥居右の「白山奥宮遥拝所」の石標。
この先に白山が聳え、白山を登ることなく奥宮に参拝できる。
眼下には水の恵みをもたらす手取川の流れが望める。
参拝を終え神門から右に進み北参道に向かいます。
玉垣門をくぐり杉の巨木に包まれた石畳の参道を進む。
社務所全景。
フラットな参道は巨木の杜が作る木陰が広がり静寂な空間が広がる。
古い株は苔むし、その上から新たな命が芽吹いている、自然の循環は力強い。
参道脇の句碑。
1689年(元禄2)に、松尾芭蕉が奥の細道への道すがら、北陸の中天に聳える白山の姿に感銘を受けて詠んだ句が刻まれ、建立は1961年(昭和36)。
『風かをる 越しの白嶺を 国の華 翁』
北参道車祓所と手水舎。
県道に隣接する北駐車場が現在の主要な参拝道なのだろう、切妻の大きなもの。
新しいもので龍の姿はありません、その代わりに欄間には細かな龍の彫飾りが施され、木鼻の飾りと共に視線を引き付ける。
北参道の大鳥居で守護する狛犬。
こちらも角を持ち、鼻に特徴的がある。
北参道大鳥居脇の「触穢の所」と社号標。
参拝前に喪や出産の穢れを自らお祓いする場所。
作法は1、一礼し扉を開く、2.二礼二拍手し中の祓詞を唱える、3.二拍手二礼、4.祓い串で自らを祓い清める、5.塩で自らを祓う、6.扉を閉じて一礼する。
社号標は「国幣中社 白山比咩神社」とあり1893年(明治26)の健之。
北参道大鳥居。
北参道駐車場からなら足元の心配なく容易に参拝が出来る。
境外社 河濯尊大権現堂
北駐車場の西隣に鎮座し祭神は河濯尊(かはすそん)を祀る。
天明時代から続くようで、以前は神社の地内の参道脇に鎮座していたという。
明治の頃に2回の火難に遇い、以降は現在の地に祀られたようです。
堂内には泰澄大師作と伝わる石仏が安置されており、難病、病魔退散、下半身の病に御利益があるという。
堂内には「仏様のことば」が記されていて、一読すると感じるものがあるかもしれない。
「お前の人生は、悪くもなければ良くもない、お前にとって丁度よい、地獄へ行こうと極楽へ行こうと行ったところが丁度よい・・・死ぬ日月さえも丁度よい・・・」
北駐車場の白山手取川ジオパークの解説板。
若い頃に手取川へ大きな岩魚を求め相棒と良く出かけていた、豊かな水と自然に包まれ、自然の息吹を感じる噴泉塔もあり白山の恵みの豊かさを体感できた。
行きたい気持ちは十分あるけれど、気持ちと体力は別物だ、何より頼もしかった相棒もいない。
今は、当時見向きもしなかった神社を参拝して回るのが「丁度よい」のかもしれない。
氣田大社から車アクセス / のと里山海道(県道60号線)白尾IC➡津幡バイパス➡金沢バイパス➡北陸自動車道白山IC➡県道8号➡国道157号線明島町交差点➡県道105号線西崎交差点➡県道103号線八幡町交差点右折➡表参道 所要時間1時間30分程度
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