チャツボミゴケ公園 エトセトラ
チャツボミゴケ見たことないから見てみたいと思ったのは
ここ 数年のことである。日本百名山の「草津白根山」のテレビを見て
流れるきれいな水が「飲めない」というのが衝撃だった。
「人が飲めない水に生える苔」見てみたい。
いままでは ここに行くなら6月 ここに立ち寄って 霧ヶ峰・入笠山になんて考えていたが 今回 感染症の問題もあって 日本百名山ひとつも登頂できてないから 登ってない山で登れそうなのは四阿山 ひょっとしたら 菅平の「ムラサキセンブリ」も見られるかと考えた。
そのルートからは少し外れるが経由するのそれほど難しくないので
立ち寄ることにした。
こんなふうに湧出しているのは 雰囲気では水です。
木道を降りることは禁止されているので温度の確認はできません。
水温(どこの場所かわからないが)は20°C程度とのことである。
PHは3程度 強い酸性である。魚は住むことができない。
とっても不思議なのだが そんな環境を好んで生える苔が
チャツボミゴケである。
日本では ここと 阿蘇にしか生息しないみたい。
ここ 意外と 分かりにくい場所にある。(個人的にだけど)
芳ケ平湿原の最下部に位置していてここから渋峠まで歩く方も
いるみたい。渋峠は感覚的には志賀である。
ネットでもだいたいの場所はわかるので 適当にナビをセットしたら
草津温泉を通って山の中を走ることに
それだけなら まだいいのだけれど 適当にナビの目的地をセットしたので とんでもない山の中に入ってしまった。
バックでは戻ることができないほど入ってしまったのでちょっと青ざめた。
転回するところをやっとみつけて元の道路に戻って目的地のセットを
試みるがうまくいかない。電話番号でセットしようとしたら「JFE奥草津保養所」とか出てきてちょっと驚き 近くには 保養所なんてないはずなのに・・・ それでも 場所は合っているようなので そのまま行くと 案内板があって何故か 目的地は同じ なんで 「JFEなんだろう」。
広い駐車場があって(たしか第三まで)入園券は600円
駐車代は無料 それと 公園の近くまでバスで送ってくれる。
公園は 「穴地獄」と呼ばれている場所にあるが 見たところ ただの 傾斜地にしか見えなかった。
見たときは たしかにきれいだけど 水が強酸性という以外には「こんな風に生えるのね」という感じだけだった。
ただ 写真には撮ってこなかったが上から見て左手の山が群馬鉄山と
書いてある案内板があった。
その鉄山とJFEが関係あるんだと薄々気づいた。
JFEは日本鋼管と川崎製鉄が合併した会社である。その日本鋼管と
群馬鉄山が関係あるらしい。
地殻中の元素の重量比は 酸素46.60% ケイ素27.72% アルミニウム8.13% 鉄5.00% ・・・鉄は比較的多い方なのである。
家に帰ってきてから 調べたのだけど チャツボミゴケが 鉄山の生成に関係するみたいなのだ。定かではないが 水中の鉄分を体内にためこむのかもしれない。いままで 鉄鉱石というのは地球内部から火山活動で
地表に出てくるのかと思っていたが大抵の場合そうではないみたいなのだ。特に 高炉で使用される酸化鉄鉱石の 赤鉄鉱はシアノバクテリヤによって生成されるようなのだ。
先の案内板を見て驚きは この鉄山の採掘権を日本鋼管が取得したのは
昭和18年 今から見れば 戦争末期である。
現在の吾妻線はその当時 鉄鉱石運搬を主目的に 渋川から長野原まで省線として延線されたらしい。しかも 驚異の1年半という超短期間で敷設された。また 長野原から鉄鉱石の積み出し駅太子(おおし)駅までは日本鋼管専用線として建設されたようである。
それにしても この時期は 戦時の悪化のため鉄鋼不足により各家庭の鉄製品が供出された時期である。鉄道のレールに回す鉄があったことにちょっと驚いてしまった。
ちなみに 太子駅の開業は貨物専用線として 1945年 1月2日
終戦の年である。1951年には 太子焼結工場完成
旅客駅には1961年9月1日になって
1966年には 閉山とともに貨物駅廃止 1070年には旅客業務も
終了となったようである。
ここから太子駅までは 索道運搬だったようである。
そんなわけで ちょっと遠回りになるが復元された太子駅にたちよることにした。
右側のホッパー棟に貨車が入って鉄鉱石を積込みしたようである。
また 長野原側の損傷がさほどでもないのは後から増設したためか
ここに線路が敷かれていて直接鉄鉱石を積み込んだとのこと
上からただ落とし込んだのではこぼれてしまうから
ホッパーというにふさわしいものが付属していた感じである。
最後に
粗鋼生産量の推移グラフである。
PS
機会があれば チャツボミゴケ公園から芳ヶ平湿原まで歩いてみたいと
思っています。