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詩 「毛玉とり」


毛玉とりを
手に入れたその日から
私の毛玉に対する価値観は
日に日に変わっていった

冬物の衣服なんかから
いつまにか誕生する毛玉は
なかなか厄介なものであった

ガムテープや
通称「コロコロ」では
簡単には取ることができず
かといって手でむしり取るのも
キリがなく、時間もかかるし
キレイに取れないものである

ひとつ言っておくが
毛玉ができたからといって
生活に支障があるわけではないし
毛玉に有害な成分が含まれている
なんてこともなかろう

ただ、毛玉だらけの服で
人と会ったりしようもんなら
登場した瞬間、爆笑されるか
後で「あの人、毛玉ヤバかったね」
などと陰口を叩かれる可能性はある

しかし私は
そんなことはどうでもよい
毛玉を恥じるような大人ではない

ならば私は
毛玉を「なぜ」取りたいと思うか
それは「ムカつく」からである
その一点に尽きる

ひっついて離れない
頑固な毛玉の群れを見ると
無性に取りたくなるのだ

そこで最近
我が家にやってきたのが
電動式毛玉とり機である

スイッチを入れると
うぃーーーんと鳴り、
毛玉の部分にそれが当たると
ガガガガ、ガガガリッ、という
手応えバツグンの音を発しながら
あっという間に毛玉をカットできる
世にも驚きの電化製品である

初めてコレを使用した時の
なんとも言えないあの快感に
私は完全にやられてしまった

それからというもの、
あれほどムカついていた毛玉も
新しい毛玉さんを発見すると
喜びに近い感情をもつまでに至った

なぜなら「毛玉を取れる」からだ

はっきり言おう
私はもっと毛玉を取りたいし
毛玉がもっとできればいいのに
と願うようになったのだ

だからといって
毛玉なら何でもいいわけではない
私にも好みの毛玉くらいある

たとえば
他人から「毛玉だらけの服」を
プレゼントされても嬉しくないし
お持ち帰りください、としか思えない

さらに時代が進んで
この世に「毛玉パーク」なる
毛玉だらけの娯楽施設が建設されても
気持ち悪いですね、としか思えない

あくまでも「自然発生的」に
自分の「生活の中から」生まれた
毛玉が好きというか欲しいというか
育てたいというか、なのである

自慢になってしまうが
今年のクリスマスイブは
お気に入りの音楽をBGMに
ビールを飲みながら
毛玉をとりまくるという
贅沢な夜を過ごしたことも
ここに明記しておこう

どんなに「価値がない」と
思っていたものでも
考え方や感じ方次第で
それは価値のあるものへと
生まれ変わるのである

価値を生み出すのは
いつだって私なのである

毛玉に価値があるのではない
毛玉の価値を発見できる
私の感性に価値があるのだ



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