『三度目のホテル間違い』(後)
本当の白樺ホテルのすぐ前は、ゴンドラの発着場となっていた。翌朝は、天気も上々だった。リュックを背負い、ゆっくりとゴンドラに乗った。今日の目的地は、<御泉水自然園(ごせんすいしぜんえん)>。ゴンドラから下に見える芝生は、<蓼科牧場>だが、馬や牛が放牧されている姿はなかった。ゴンドラの終着駅を降りるとすぐに、眺めの良い高台が見えていた。眼下には、蓼科高原が広がり、女神湖が、すぐそこに見渡せる。ハンモッグが二つ据え付かれて、そこで寝そべっている人もいる。
自然園の入り口の看板を過ぎて、緑の森林の小道を歩いて行った。すぐに、渓流の合流する池に到着。そこからの木道を進むと一面に山笹に覆われた林だ。カラマツや白樺の木が林立する見事な自然園だ。一足で別世界に入ったようだ。途中の渓流の石群は、緑の苔で蔽われている。木道の端には、黄色いペンキで目印をしているのかと思ったら、これも、黄色の苔だったのだ。木立の木の枝には、奇妙な布切れの様な物が引っかかている。どの木の枝にも沢山見られる。説明板によると、これは、<猿尾枷(さるおがせ)>と呼ばれる苔だそうだ。この森は、年中霧に覆われ、湿気が多い。木の枝に生えた苔が風で長く伸び、海草の様な格好になるらしい。面白い自然の造形美だ。山笹、カラマツ、白樺の織りなす、見事な森林が続いていた。この美しい森林をそのまま、保存して、遊覧させてくれる事に、感謝しなければ。約一時間の歩行だったが、平坦な木道なので、これなら、普通の道を散歩できる人なら、誰でも来れると思った。
<御泉水自然園>を降りて、午後からは、<白樺湖>に行き、周辺を散策。この辺りは、さすがに、どこに行っても涼しい。車道に降りても、汗をかくこともない。信州は、やはり、避暑地には、もってこいの場所だ。<白樺湖>では、ボートやカヌーで、沢山の人が湖水を楽しんでいる風景があった。
翌日は、<八島が原湿原>に行く予定だったが、台風が関東地方に接近していた。朝から、曇り空だったが、午後からは、小雨になると言う予報。これでは、無理に湿原に行っても何も見えないだろうと話し合い、湿原行きは中止して、今日の宿泊予定の諏訪湖の近くで遊ぶことにした。
<北沢美術館>で、アール・ヌーボー期のガラス工芸品を鑑賞した。そこを出て、諏訪湖の周辺を散策。遊覧船に乗ってみようと、船着き場に行ったが、調度船は、出たところで、次は、午後になると。あきらめて、もうホテルでくつろぐ事にした。
タクシーを呼び、運転手に、妻が<浜の湯>にお願いしますと伝えた。ホテルは、そんなに遠くなく、すぐに着いてしまった。タクシーを降り、二人でホテルのフロントに向かった。ところが、フロントのホテルマンがおかしなことを言っている。このホテルは、目的の<浜の湯ホテル>では、ないと言う。タクシーの運転手には、妻は、確かに<浜の湯>と言ったはずだ。どうして、まちがったのだろうか。しかし、ホテルの従業員は、自分が間違いをしてしまったように、気の毒がり、とても親切に対処してくれた。早速に、先程乗ったタクシーを再度呼んで下さったのだ。従業員は、総出で、御見送りをしてくれた。タクシーに乗ると先程の運転手で、「私は、<花の湯ホテル>と聞いたのですが。」と言われた。妻の発音が悪かったのかわからないが、再度確認をすべきだったかもしれない。幸いに、<浜の湯ホテル>は、すぐ近くて、立派な温泉旅館だった。
しかし、今度の旅で二度もホテル間違いをしてしまった。福岡を入れると今年三度目だ。「二度ある事は、三度ある。」とは、よく言ったものだ。考えてみると、タクシーに乗り、行き先を告げる時には、お互いに、行き先を確認し、確かめ合う事が、大切だと思った。お互いに分かった振りをしているが、中途半端なままだと、こんなホテル間違いが起こってしまうのだ。妻とは、「今度からタクシーの乗った時には、旅行社の予約チケットを直接渡して、お互いに確認してから、出発してもらうといいね。」と言い合った。
それにしても、三度もホテル間違いをしても、大した大事には、至らなかった事は、不幸中の幸いであった。そして、どのホテルマンもすごく親切に対応して下さった。おかげで、後味が悪くもなく、快適な旅行が出来た事は、感謝しなければと思った。(終わり)