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『私を抜きにして、私の話をしないで』



以下に私がお話することは、どのような障害があるか……という障害の種別に関わらず、何らかの障害がある、という方であれば、どなたにも少なからず、お身の上に覚えのあろうか……というお話だと思います。


どなたかの付き添いの人……ボランティアさんやヘルパーさん、または友人、知人、ご家族などと一緒に、私のような障害者が外に出かける場合に……

障害のある本人……つまり当事者を抜きにして、駅員さんやバス・タクシーの運転手さん、銀行や病院の受け付け窓口の人……といった周りの人が、まず先に付き添いの人と会話をしてしまい、障害者が話の中心から外されてしまう。

というようなことは、私自身の日常にも、よくあることなのです。

また、こうしたことは、

私以外の身近な事例なら、身体障害の仲間内でも特に、言語障害のある仲間から、頻繁に耳にする話であったりします。

喉の周りの筋肉が上手く動かない。唇や顎関節、舌などを動かす筋肉が上手く動かない、といった障害があると、発語や発声に相当な困難が生じるわけですが……

言語に障害がある=知的にも障害がある、と言うように周りの人から誤認され、まともに会話してもらえない。相手にしてもらえない。という場面がよくあるということでした。

『mitsuguは発語が綺麗だから羨ましい。言いたいことがちゃんと伝わる』

言語障害のある人から、そんなふうに言われることもありましたが

別段、言語に障害がなくても、すでに『心身に障害がある』というだけで、

社会人として未成熟な存在としてみなされ、一人前として扱われない。ということもあるようです。


これは私の事例ですが、

過日、私が小学校で講話する、という時の事でした。

学校に到着した私が、一生懸命、担任の先生に話しかけてご挨拶しようとしているのに、先生が付き添いの支援者にばかり話しかけてかしこまってしまう……

ということがありました。

先生の認識からすると、講話をするのは健常者に違いない…という先入観があるようで……

さすがに、そんな様子に耐えかねた私が

『講話するのは自分なんです!』

と訴えても……

「ああそうね。あなたも一緒にお話してくれるのね。頑張ってね」

と、まるで小さな子どもを相手にするかのような扱いをされてしまったのでした。

支援者の方も……

『付き添い人は僕です。今から話すのは、こちらのmitsuguさんなんです』

と、丁寧に説明してくれましたが、講話の本番が始まるまで、どうしても信じてもらえる雰囲気にはなりませんでした。

いざ講話が始まり……

『みなさん。こんにちはー!』

と、私がいっちょうまえに子どもさんの前で話すのを見て、先生はものすごく驚いていました。

しっかり言語が通じる場合であっても、まず心が通じない。ということもあるようで、『話せばわかる』なんて言う人もいますけど、あれはウソですね。

気持ちが通じなければ、いくら言葉をかけても、そのやり取りは虚しいだけです。


たとえ、知的障害や発達障害のある場合であっても、

いいえ……障害があるかなしかに関係なく、誰が相手の場合でも、人と人との対話、交流の場面では、まず本人の意志を確認し会話するということ。

人としての尊厳を大切にして、丁寧に他者と向き合うことは、どんな時でも大切なことだと考えます。

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