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それでも…
私は、障害のある子どもさんであっても、普通校……
いわゆる『特別支援学校』ではなく、障害のない子どもさんと同じ、地域の学校に登校通学することを推奨しています。
それも、普通校の中に併設されるような『特別支援学級』とか『特別支援クラス』と言われる場所ではなくて、普通校の普通教室の中に、障害のあるお子さんも同じように机を置き、席を並べる形が望ましいと考えています。
また普通校と特別支援校にそれぞれ籍を置き……日によってどちらに通学するかを選ぶ……復籍通学という方法もあるそうですが……
私の個人的な感覚としては……
それも……なんだかなあ。という思いです。
もちろん、ここで語るのは私個人の意見であり感想です。
障害のあるお子さんを育てておられるご家庭それぞれ、ご家族それぞれに……様々なご意見がございましょうから、個々の決定や結論に、私が口を挟んで物申すつもりはありません。
何より、大切なことは……
『今、学校に通っている』
あるいは
『これから学校に通う』
という子どもさんに、より良い環境をどう整えていくか……ということであり
とっくの昔に学生の生活を終えたような…五十路のオッサン障害者の話などは……それほど重く捉えなくても良い事です。
これから私が語ることも、あくまでもジジイの体験談、昔話のひとつとして知っていただければ幸いです。
すでにご存知の方の方が多いかと存じますが、一応改めて書き記すと……
私も普通校、普通級に通った障害児でありました。
高校に上がってから社会に出るまでの3年間は養護学校(特別支援学校)の高等部に通いましたが、義務教育の9年間は……
普通校に通いました。
これに関しては私の意思というよりは……
両親、それも母親の意向が強く働きました。
私が小学校に入る前、
《障害のある子を普通学校へ》
という市民運動に感化され、その影響を受けた母は……
自分の子も普通学校へ通わせたい、と考えるようになったらしいです。
とはいえ……実際にその場所で学ぶのは母ではなくて私です。
どちらの学校に通いたいのか、母は私に尋ねたそうです。
そうしたら
『ランドセルを背負って学校に通いたい』
……と、小さな私は答えたのだ。
と母は言います。
同じような記憶は私にもあります。
しかし、これは
『ランドセルを背負って養護学校に行きたい』
という意味でありまして……
『ランドセルを背負いたい』イコール『普通校に通いたい』
と解釈したのは、母の一方的な思い込み……我が子に自分の願望を投影したに過ぎないことだったのでした。
この辺りの話をすると、いまだに親子でケンカになります。
母からすれば、あくまでも私のために……という一心で頑張ってきたことですので。
自分が望まぬ形で普通校に入った私ですが、学生時代を振り返るに……
やはり多感な時期に、障害のない同世代の子たちと接触を持っておいてよかったなと感じます。
自分が……障害のない、健常の子どもの中に入った時に、周りが自分をどう見るか、何を言うか、という反応を……
それこそ身に染みるまで……骨の髄まで染み込むほどに、体験することが出来たからです。
今日、障害のあるお子さんを普通校へ通わせようとする時には……家庭や家族がそのように動くだけでなく、
周りの他の保護者や、学校そのもの……
教職員の協力と理解が不可欠である。と感じる方が多いでしょう。
周囲の理解と協力が得られる環境であるならば……
学校自体の設備や、運営形態が、障害のある子どもさんに適したものになっていなかったとしても、より良い形を模索していくことは出来るでしょう。
しかし……私が入学した当時、私の母は、
そうした理解者を作ることもしないまま……
ひたすら自分の思いだけを押し通し……私を普通校に入れたのでした。
それはそれで、ものすごい熱意だったと評価はしているのですが……
あらゆる反対をねじ伏せて入った普通校での生活は……
決して幸せなものではありませんでした。
もちろん、いじめにも会いました。子ども同士のささやかなものから、
先生や大人から受ける陰湿なものまで、
多種多様でした。
まして昔は……障害者の社会進出が、今よりずっと遅れており……重度の身体障害者……肢体不自由の車いす利用者などは……
学校を出たら、病院か施設に入るか……一生、自宅に引きこもるか……くらいしか選択肢がない。と言われたくらいであり、
『障害のある子どもに何を教えても意味が無い』
という一言は……義務教育の間中、様々な人から繰り返し投げつけられた言葉でした。
そんな中にも、親しく付き合ってくれる友人などもいましたが……彼や彼女が私に向ける親しみ、優しさは……どこかよそよそしいものであり……
障害のない子ども同士の付き合い方とは、一線を引いたものになっていました。
真に親しいと言える人もできず、苦しく辛い記憶ばかりが多い普通校での生活でしたが……
それでも、通った意味はあったと思います。
それは、
『差別を受けたから』
『偏見に晒されたから』
であります。
親や教師にも頼ることが出来ない環境で、
私は私なりに、必死に……
『どうするか』
『どう過ごすか』
を考えて、9年間を過ごしました。
長い長い9年でした。
望まぬ環境、意に沿わぬ逆境があればこそ
生きる力、やり過ごす能力が身に付いたのだと自負しています。
もちろん、幸せで楽しい学校生活が送れたならば、何よりそれに越したことは無いのですが、
必ずしも上手くいかなかった事例からも、学び取れることはあるはずだと、私は確信しているのです。
『障害のある子は普通校でいじめられる』
はい、私もいじめを受けました。死のうかとも考えました。
『障害のある子は普通校の勉強についていけない』
私の成績も、下から数えた方が早いくらいのもんでした。
てゆーか、障害のない、健常の子どもの中にも、成績の低い、勉強が追いつかない子は必ず出ます。
であるならば……障害のある、勉強に遅れが出る子が同じ場にいて、悪いという道理がありません。
子どもさんが学校の場で身につけることは、何も勉強ばかりではないはずです。
自分自身が通った頃には、うまくいきませんでしたが……
必ずしも障害のあるお子さんの登校を想定されていない、普通校であっても……様々な形の支援があって、周囲の理解が得られたならば……親御さんにも子どもさんにも、意義ある学校生活が送れるものと思います。
障害のある子どものために、手厚いケアが受けられる……というように巷で語られている特別支援学校であっても……
その実、充分なケアがされているとは言い難い状態が、ずっとそのままになっています。
確かに、特別支援学校では……1人の子どもを教師数人で見守る体制が取られていますし、学校の建物、施設もバリアフリー化されています。
でも、それだけです。
特別支援学校で働いているのも……普通校にいるのと同じ、普通の先生に変わりありません。
なので……障害の軽い子が注目されて、障害の重い子は……どこかで学ぶことを諦められてしまうところがあるのは、
障害のある子が普通校に通う場合と、なんら変わりはありません。
中には、特別支援学校で働いた経験を元に障害のある子どもさんに寄り添い、精力的活動しておられる、私から見ても大変立派な先生もおられます。
ですが、そういう先生は、たくさんいる中の、ほんのわずか……
大多数の先生は、そこが特別支援学校であろうと、普通校であろうと……単なる赴任先に過ぎない。という場合の方が多いのではありますまいか。
出会う先生にアタリハズレがあるのは……
どんな学校でも同じ。
入る教室にアタリハズレがあるのはどちらの教室も同じことです。
ではなぜ、より厳しい普通校を、私が強く勧めるかというと……
社会に出れば、大人になれば……
学生の頃よりさらに厳しい差別と偏見が、障害者に降りかかって来るからです。
昔のように……病院や施設に閉じ込められるだけ、家に引きこもるだけ。
という時代はとっくに終わっています。
閉鎖環境で過ごした人も、どこかの場面で必ず、外に出ます。
そんな時、その場に醜い差別があっても、
目を塞ぎたくなる偏見があっても……
そこから逃げることもできずに、真正面から対峙しなくてはならない場面が、必ず訪れます。
そんな時、子どもの時に、障害のない人と過ごした経験が、きっと活きてくるものと思います。
しんどいからこそ共にいる。
辛いからこそ共にいるんです。
必ずしも……みんな明るく仲良しこよし……だけが正解ではありません。