【ホラー語り】 #2 安定剤としてのホラーのすゝめ
「バランスが取れた人間ですよね」
これは自分にとって呪いの言葉だ。
確かに、バランスが取れているなと思う人はいる。
職場の仕事のできる上司はまさにその典型で、適切な場面で適切な言葉を発することができる。コミニケーションを間違えないタイプの人間である。
誰とも壁を作らずに、円滑に物事を前に進められる手本のような人間だ。
そして最近の自分もどうやら間違えない人間になっているらしく、呪いの言葉をかけられるようになったのだ。
バランスが取れている人間など、そもそもいるのだろうか。正しくはバランスが取れている"ように見える"人間なのではないか。
人間とは元々不安定な生き物で、綱渡りのように生きている。その感覚を持っているからこそ、踏み外さないようにバランスをとって生きることになるのだ。
バランスが良いと言われる人間は、おそらく人よりも綱渡りの自覚があるがゆえに生きづらさを抱えていくのだろう。かくいう自分が該当者だ。
一方でバランスを考えない人もいる。自分にベクトルを向け続けられる人は、そもそもバランスなど考えていない。呪いとは一番遠い存在だ。直感で生きているタイプ、明日いきなり会社を辞めてカレー屋を始めるような人だ。とても羨ましい。
…
話を戻すと、呪いをかけられた自分は今生きづらさを抱えているが、
処方箋も持っている。
ヒューマンホラー映画こそ、呪いを紐解く処方箋だ。
例えば、ナイトクローラーという映画がある。
パパラッチの主人公が視聴率を追い求め、やがてバランスを保てなくなっていく。ジェイクギレンホール演じる主人公の心が欠落していく様子はまさにヒューマンホラーと呼んでもいい内容だ。
ヒューマンホラー映画とはまさに不均質・バランスを欠いた誰かの物語である。刺激的な内容は多いかもしれないが、人間の本来の不安定さを客観的にみる、受け入れる時間が人間には必要だ。
そんなことを積み重ねると、生きづらさを抱えながらも少しだけ踏み外したようなことにもトライできる。人生をちょっと面白くしていける。
バランスを取ることは悪いことではない、ただ時として呪いに変わるものでもあるからこそ、安定剤が必要なのだ。
これが、安定剤としてのホラーのすゝめ。
今日も自分は生きていく、そして時々ホラーを観る。
ホラーのある人生に幸あれ。