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【エッセイ】 #1 映画を観る、の向こうにあるもの。

映画が好きだ。

水を飲むのと同じくらい、気がついたら、映画を見ている。

そしてよく聞かれる

「なんでそんなに映画が好きなの?」

言葉に詰まる。別に理由なんて考えたこともない。

よく考えてみたら、なんで映画が見たいのか、理由なんていらないじゃないか、と思う。

でも違和感がある。なんだか頭にしこりが残る。ちょっと消化してみると、もっと手前の話で「別に映画が見たいわけじゃない」という感覚があること気づく。

そう、映画を観る理由は人によって違う。理由というより、意味が違う。

例えば、飛行機で観る映画も、友達に誘われていく映画も、

新宿三丁目でふと衝動にかられて行く映画も、家で1人でじっと観る映画も、全部違うのだ。

たまたま暇つぶしで観る映画もあるし、
友達に誘われて仕方なしに観る映画もあるし、たまたま目にして面白そうだと行く映画も、ずっと観たいと思ってとびきりの時間になる映画もあるのだ。

そう考えると、映画が観るのが好きというのは少し違う。正直にいえば観たくないけど、観る時もある。

でも映画を観る。観る。観る。  

なぜかーーー。  

映画観るのが好きというより、映画を観た自分が好きなんではないか。  

観ている時間ももちろん楽しい。ただそれ以上に楽しいのは

「あの映画のあのシーンが、、」「この映画は観た方がいい」「あの映画を知っているなんて、なかなか渋いね」

こんなシーンではないか。
名刺代わりの映画、とよく聞くけどもまさにそうだ。

映画は自分をつくってくれる。

だから映画好きな理由は、映画を観て楽しみたいだけじゃない、映画を観た後の自分にちょっと期待したかったりするのだ。

「この映画さ、たまたま飛行機で観たんだけど、、」

「新宿でふと見かけてさ、思ったより、、、」

「今話題のやつね、友達と観に行ったよ、、」

「ずっとみたかった映画があってね、やっぱり観て観たら、、」

シチュエーションはあるにせよ、映画を観た自分はもうそれまでの自分ではない。何かを知っている自分なのだ。

何か、は映画によって違う。
解釈も違う、だから面白いと思う。

その何か、を求めて映画を観ている。

その後の自分がどんなことを言えるのか、言えるようになっているのか。
何か、に広さがあるのが映画のいいところだ。  

映画を観たいが好きなだけではない、もっと映画を観た自分を知りたい。

これがおそらく、自分が映画を見る理由なんだろう。

さあ、今日は何を観ようか。










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