【エッセイ】#10 父が猫を抱いた夜
心に残る父との思い出はそんなに多いものなのだろうか。
決して父と仲が悪かったわけではない。
ただ、父はあまり自分のことを話すタイプでなかった。
父親として以外の父を知る余地がなかった。
唯一知っているのは釣りが好きだということ。
若い頃は毎週末レガシーに乗って釣りに勤しんでいたことは知っている。
平日の夜、外房の漁港に連れられて一緒に釣りをしたことも覚えている。
やけに星が綺麗で、少し湿った夜風が吹くあの夜。
それでも父親と胸の内を明かし合う、なんてことはなかった。
ゆえに、1人の人間としての父を捉えようとすると全く輪郭が見えないのだ。
父の輪郭を掴むような出来事はなかったのかもしれない---。
そんなことを考えていたある時、ふとある夜を思い出した。
父とはホラーが好きという共通点があった。親ゆずりなのかはわからないが、自分にはホラーを愉しむ素地があったのだ。
母が床に入り夜更けに入ったころ、地上波の心霊番組からドラマ、洋画邦画まで、あらゆるホラーを父は1人で静かに観ていた。
きっと子供の教育には良くないものなのだろうが、いけないものを見ているハラハラ感も手伝って自分はよくしれっと父と一緒にホラーを観ていた。
「なんでホラーが好きなの?」そんな質問さえせずに、とにかく一緒に観ていたのだ。そしてある夜が訪れる。
その日は「本当にあった呪いのビデオ」の二番煎じのような、ホラードキュメンタリーを見ていた。
その回は番組宛に届く差出人不明のビデオテープを実際に再生していくというような内容だった。よくあるホラードキュメンタリー番組という感じだが、その回ビデオの中に、かなり悪趣味なものがあった。
それは風呂場に猫の死体を吊るしている映像だった。
実家では猫を飼っていた。ちっちゃな三毛猫。いつも寝る前になると父親のそばに来るのが日常だった。この日も多分に漏れず、ホラーを観る父親のそばでちょこんと寝転んでいた。
ただ、あまり悪趣味なその映像が流れた瞬間、父はとっさに猫を抱きしめた。特に何か言葉を発するわけでもなく、父は猫を抱きしめていた。
一度時が止まったかのような長さで抱いていた。自分はもはや後ろで流れている映像にも目もくれず、父親が猫を抱きしめる様子をただ見つめていたと思う。
父が猫を抱いた夜。あの夜は確かに1人の人間としての父の輪郭を少し掴めた気がしたのだ。
そして父も1人の人間で、何かを大事に抱えている人なのだと少しホッした自分がいたことを思い出すのだ。
あの夜は今でも思い出せる父との大事な思い出だ。
きっとこんなことを思い出せるような夜が、人生には何回か必要なのだ。
父が猫を抱いた夜。
あの夜の輪郭を、私は死ぬまで忘れないだろう。