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七夕イベント番外編1: 山登り

鳥取県庁付近に行くと, その背後, 東側にそびえる円錐形の山がとても印象的で, 登らずにいられなくする存在感を出している.

2022年の星空案内人資格認定講座では鳥取県内のいろいろな場所が会場になったが, 最終回の認定式が行われたのが県庁に近いとりぎん文化会館だった. そのとき初めて鳥取市内をうろうろしてみてこの山が気になる. その翌週, 今はなきフジコヘミングさんの演奏会が同じ会場で開かれて, 子といっしょに再来. そして今回の七夕イベントで3回めなので, 登らなくてどうする!? ということで...

昼ごろに到着し, 県立博物館の駐車場に車を泊めて(あとで博物館にも行きました)登り始めた.

特徴的な球状の「巻石垣」(天球丸跡の下から)

まず鳥取城跡の特徴的な球状の石垣をチェック. 「巻石垣」と呼ばれるこれはその名も「天球丸」という建物跡の敷地を囲む石垣の一部である. 江戸時代から「天球」とは, 鳥取が星取県になるのは既定路線だったのか?と思わせるその名だが, 星空の天球ではなく「天球院」という女性の名に由来するらしい.

天球丸跡, 大きな松の木2本が木陰を作る
天球丸(天球院さんの居所)跡の説明
  • 天球院 (京都妙心寺天球院): 妙心寺の塔頭(たっちゅう, 大きな寺の付属の寺)のひとつ. 1631年に岡山藩主池田光政が伯母(若桜(わかさ)鬼ヶ城主山崎家盛の妻, 二人の子を授かったがともに夭折)のために建立. もともと「天久院」だったが寺院の地下から美しい玉が発掘されたため「天球院」としたと伝わる. この池田光政の伯母・山崎家盛の妻である女性が(たぶんこの寺の名前から)「天球院」と呼ばれた.

  • 鳥取城の天球丸: 天球院さんが1614年山崎家盛の死後, 若桜鬼ヶ城を離れて居住した場所.

  • 天球丸の巻石垣: 巻石垣は江戸時代後期に石垣のたわみを防ぐ補強のために作られた. 城郭に使われるのは珍しい例とのこと.

参考はこちらのサイトたち↓

さて, この山は久松山(キュウショウザン)といい標高263m. 出雲北山の弥山の半分くらいか...と思って登り始めると, 思いの外きついではないかorz... 最近の運動不足やらなんやらが祟ってか, いや, この日は現地最高気温37℃の猛暑日だったそうで, その暑さが効いていたか!?

登山口, さりげなく?きついと書いてある

しかし, そんな日でも地元の人らしきツワモノは平気な顔ですれ違うのだ. つっかけ履きで降りてきた笑顔のお兄さんとか, なぜか背広を来て裸足のおじさん(この辺になると見えてはいけないものでも見てるんじゃないかと自分の目を疑ったり...)とか, もう少し普通の格好をした(登山らしい服)おじさん・おばさんたちも杖と水筒ひとつをもって軽快に歩いている.

四合目の看板のあたりでも息が上がり気味, この先どうなることやらと心配しつつペースを落として時々坐り込みながら, 息も絶え絶えに頂上にたどり着いた.

頂上は絶景. 北を見ると鳥取砂丘も見えた.

頂上の本丸跡
本丸跡から南西方向, 鳥取市内
本丸跡から北方向, 海岸の砂丘が見える
頂上の案内板

登りは死にそうにきつくても下りは平気になるのは何故? それだけ勾配が急ということ? 多少余裕も出る.

紫陽花

下ってから, 車を停めた県立博物館に入ってみる. 常設展は一般180円.

鳥取県立博物館入り口, 企画展「アートって, なに?」は見ませんでしたm(. .)m

常設展の入り口には, 山陰沖の海底から出た化石たち. ナウマンゾウ, マンモス, ステゴドンというゾウの仲間たちなど.

常設展の入り口あたり, 山陰沖海底で出た化石たち
ザトウムシの10倍模型, こういうの好きです
鳥取城の模型

歴史のコーナーにあった鳥取城の模型で, 急峻な山道を振り返り…

1時間ほど館内を見て回っているうちに登山で参った体も涼み, いい感じでした. 登山→博物館, おすすめコースかも:-)

【了】

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