本当の意味での合理的とは?

「合理的」という言葉はという言葉はかなり頻繁に使われる。

その意味は

目的があって無駄がなく、効率的である様子

と表現することができる。

つまるところ、論理的に無駄がなく、特定の目的へ到達するため最短距離をいくことができている状況のことを合理的ということができる。

我々は普段何も考えずにこの合理的という概念を使っているが、歴史的観点、経営学的観点から観察してみるとこの合理的という概念は、我々が思っている以上に複雑な概念であることがわかってきた。

今日はこの合理的という概念について考えてみたいと思う。

合理性の罠

私がこの合理的という概念について興味を持ったのはいくつかの本を読んだことがきっかけである。


ストーリーとしての競争戦略
楠木建 東洋経済新報社


組織の不条理
菊澤研宗 中公文庫

そのきっかけとなったのがこの2冊。どちらも有名な著作であるためすでに読んだことがある人もかなり多いと思う。

この二つの本のキーとなるのが、「合理的であるが故の非合理性」という概念である。

一見すると矛盾しているように感じるが、この矛盾を感じるという部分がこの概念の最大の強みである。

軽くこれらの本の中での主張について紹介する。

タイムスパンの長さで変化する合理性

まず「ストーリーとしての競争戦略」で筆者が言っているのが、
その時は一見非合理に見えることも、長い時間軸で見てみると実は合理的である場合があるということである。

これは企業が、その業界でのスタンダードとは真逆のことや、無駄なことが多いことを行った時、競合他社は「あの会社はなんて馬鹿なことをやっているんだ?」と感じる。

しかし、その一見無駄に見えることが、短いタイムスパンで見た場合は非合理的かもしれないが、長いタイムスパンでみると合理的である場合がある。

この時間差で変化する合理性というのを活用することが優秀な競争戦略の条件であると言っている。

組織の強みや、環境で変化する合理性

次に「組織の不条理」で筆者が言っているのが、合理的か非合理的かはその組織の強みや環境で大きく変化するということだ。

この本ではどうして日本軍は太平洋戦争においてあんな非合理的なことをしてしまったのかをさまざまな記録をもとに考察している。

この本での主張をざっくりまとめると、「実は日本軍は組織としては非常に合理的な選択をしていた。しかし、組織として合理的な選択がその戦争では合理的ではなかったため失敗した」ということになる。

つまり、その環境や所属する組織によって「合理的」というのは変化してしまうということになる。

合理的というのは相対的なものでしかない

「ストーリーとしての競争戦略」と「組織の不条理」からわかるのは、合理的というのは決して普遍的ではないということである。

我々は合理的と聞くと、それはどこでも通用する一種の真理のようなものと感じることが多いと思う。

しかしそれは間違いで、合理的というのはどのようにものを見るかや、その時の環境の違いで大きく変わってきてしまう。

我々はこのことを十分に理解しておくことが必要であると思う。

そうすることによって、この合理性の罠にハマることなく強い論理を組み立てることができるようになると思う。





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