038.言葉との心中のこと
思うことがぐちゃぐちゃにありすぎて、ちょっと距離を置きたくなり、365日更新するぞのnoteを少しばかりお休みしてみた。
お休みしてみたというより、書きたくても書けなかった。もっというと、文章を介する情報が受け付けなくなってしまったのだった。
これは仕事にも支障が出る事態なので、この状態がこのまま長く続いたらどうしようと思っていたのだが、一週間経ってどうにかこうにか大丈夫になってきたと思う。
というか、そういうことにしないと前に進まないので書くしかない。この文章もリハビリみたいなものだ。
うまく書けるかとかはさておき、思っていることをとりあえず書こうと思う。
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言葉とは心中しないといけないと思って生きてきた。
つらいことも悲しいことも、全部言葉にしちゃえばいいって。
作品としての言葉は私の言葉じゃないし、私の言葉になるから。
気づいた時からとりとめもない言葉をいっぱい書いて、ちぎって、消して、抱きしめて、捨てて、けなして、寄り添って、繰り返して。
「書けなくなったら死ぬ」っていう脳裏に刻まれた言葉に突き動かされて、とにかく逃げるように攻め立てらるように書き続けて。
なにも書けなくなったら、価値がないから本気で死ぬしかないってずっと思っている。
自分の中からの言葉が出てこなくなったら、きっと私の中のカミサマに見放されてしまったのだと思うんだ。
もしくは唯一の救いなのかもしれない。もういいよ、いいんだよ、って許し。
漠然と何かに許されたいと思っているのは、誰になんだろう。
私は誰に言葉を届けたいんだろう。届く言葉を書きたいんだろう。
自分のキャッチコピーである「貴方の心に致命傷を負わせたい」は本当で、100人いたら10人に届けばいいと思っている。
突き詰めると5人がめちゃめちゃ共感してくれたらいいし、極論を言ったら「あいつの文章を読んだせいで人生狂わされた」と憎まれるくらいの言葉を書きたい。
私が寺山修司や中原中也、岡本太郎に脳みそぶん殴られるような感覚で「死にそう」って瞬時に思ったみたいな体験を与えたい。
だから、とにかく私は書かなきゃいけないんだ。言葉を愛して、憎んで、それでもふたりで手を繋いでせーので終わる、その日まで。
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