距離感

 デートの前って緊張する。約束の五分前、私は鏡の前に立つ。お化粧はこれで大丈夫、汗で崩れていない。服も昨日お店で駆けずり回って買った水色のワンピースと赤い靴。店員さんも「お客様のためにあるような服と靴ですね~」と言ってくれた。勿論、リップサービスだろうけど。くるりと一回転して全身をチェック。ニッコリ微笑めば赤い唇の私が可愛く微笑み返す。今日も完璧な、はず。ああ、髪型を忘れていた! 慌てて確認すれば、家を出た時のまま毛先だけゆるく巻けていた。よしよし、ちょっとでも可愛くなれているかなぁなんて考えていると、手のひらの中の携帯が小刻みに震え出す。 

「もしもし、今どこにいるの?」 
久々に聞く声はちょっとだけ低くてくすぐったい。こういう時、私の声はいつだってぎゅっと縮こまってしまって可愛くない。 
「えっと、改札の外」
「了解、緊張してるの」 
「し、てない、よ」
心拍数はどんどんテンポを速めていく。多分、体中の血液が全力疾走している感じがする。考えれば考えるほど頭がぐらぐらしてきた。会う前からこんな調子だったら、顔を見ただけで倒れちゃいそう。耳元まで挙げた手はじっとりと汗をかき始めていた。

「こんにちは、お久しぶり」
左右の耳からちょっと遅れて声が入る。このまま振り向きたくない。だって、会える時間はほんの一掴みで、いつも以上の速さで二人の間を駆け抜けていく。またね、が遠いから別れの時間が来るよりも一番はじめが何よりも切なくて、いつも泣きそうになってしまう。もっと普段から可愛くなれたらいいのに、とこんな時、私は常に思う。
「久しぶり、だね」
元気にしてた? と、ありきたりな言葉を交わしながら当てもなく進む。日曜日ということもあって人波はいつも以上だ。私は必ず右側を歩く。左側は居心地が悪いから嫌い。何も言わず、当たり前のように隣の右手が私の左手に絡みつく。いつからか一緒にいる時は自然にそうなった。傍から見たらどうなんだろう。汗でべたついてるから無理に繋がなくてもいいのに。そう思いながらぎゅっと指に力をこめた。
 もしも、私が頑張った分だけ見返りがあるとしたらいいのにな。そうしたら、もっと――……。

 「どうしたの、具合悪い?」
心配そうな顔をして私をじっと見る顔はいつもと同じで優しかった。
「好きですよ」
うん、俺も好きだよと、笑う君は望んだ分だけ、欲した分だけキスでも何でもくれるだろう。気持ち以外は。 

 鈍く反射した左手の薬指が、今日も私の脳裡に焼き付いて離れない。  

いただいたお金は、美味しいお酒と新しい本に使い、書くためのエネルギーにしたいと思います。