【一部無料公開:小説】お別れ時はスマートに
これだ、と思って勢いで申し込んだ。いや、多分酔っぱらっていたせい。そうじゃなかったら、こんな怪しいセミナーに参加していない。
きっかけは雑多に投函されていたチラシだった。三本目のロング缶片手に帰ってきて、手癖でポストからどうでもいい情報の束を掴んで部屋に入る。塾の勧誘、接骨院のオープン、無駄に高い新築物件……全部私に関係ないことばっかり。そう思いながら最後に手元に残った、いかにも怪しい手作り感あふれるデザインの紙に、でかでかと書かれたキャッチコピーに目を奪われた。
『お別れ時はスマートに! ニコニコスマイルの上手な破局セミナー』
お別れという文字と一緒に、脳内に小さい瑞樹が現れて、「美鈴ちゃん!」と呼びかけ、ゴールデンレトリバーみたいにじゃれてくる。付き合って二年半ちょい。可もなく不可もない付き合いだった、と思いたい。人さみしいなと思った時に大学時代のゼミ飲みがあって、そこで再会して、盛り上がった勢いで二人で三次会して、気付いたらずるずる連絡するようになって、仕事帰りに飲みに行くことが増えて、なんとなく二人とも意識し始めて、みたいな月並みなストーリー。大きな盛り上がりもなければ、落ち込みもなく、それはそれで楽しくやってきた。でも、瑞樹と過ごした月日を振り返っても、いつしかある種の情だけしか残らなくなっていた。
所詮恋愛なんてそんなもん。付き合うまでが一番のピークで、最初で最後のゴールだ。あとは結婚するか、別れるか。どうあがいたって、後者の経験ばかりが積まれていく。不毛な経験値すぎて反吐が出る。始まらなきゃ終わりがないのに、どうして始まってしまうことにときめいてしまうのだろう。
今までの経験上、いい別れ方――友達としての付き合いに戻れたのは一回しかない。それさえも、時間という薬を使ってどうにかなったわけで、当時はもう一生会わない勢いで喧嘩して終わった。ついでにめちゃめちゃ泣かれたのも決定打だった。
瑞樹のことが嫌いになった、と思えたらどんなに楽か。嫌い、ではない。情がある分、どちらかに分けたら好きにシーソーは傾くだろう。嫌な部分もあるけど、それはお互い様だし、それこそ付き合う時間が解決してくれた。しいて言うなら、二人の関係がぬるま湯のように感じられるようになってしまったことかもしれない。冷めたなら、もう一度沸騰させればいい。けど、私にその気力もなければ、瑞樹がその温度に満足して熱湯を欲していないのも肌感でわかっていた。
だったら終わりにしよう、と思うたびにいつも躊躇して踏みとどまってきた。一人になるのが怖くて、またひとつ関係が切れるのが怖くて。別れを想像すると、胸の奥に穴が空いてこの世には自分しかいないような、砂がこぼれていく感覚がする。いつか空っぽになってしまったら、私は何で構築されているのかわからなくて、きっと泣きわめくことしかできないだろう。
もしも本当に上手に、円満に、スマートに、別れてもゆるくつながる仲にすぐさまなれるなら。本当に嫌いになる前に、惰性を続けていく自分とも区切りをつけるためにも。
気付けば私はふわふわした酔いに身を任せ、QRコードを読み取って、うさんくさいセミナー申し込みを完了させていた。
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