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シングルファザー予備軍の日記#1

2024年5月現在、僕は妻と娘(1歳)の3人暮らしをしています。
妻は昨年悪性脳腫瘍(膠芽腫)を発症し、再再発を経て余命残りわずかという所まで来ました。

僕は普段Xやブログで職業柄、技術的なことを中心に情報発信等していましたが、妻の病気のことには触れてきませんでした。

Xやネットでは病気に関する情報収集こそしていましたが、自ら発信するようなモチベはなく、そんな心境でもなかったからです。

しかし終末期が近くなった現在、逆に冷静になってきたこともあり、気持ちや思考の整理も兼ねて、同じような境遇の方に少しは役に立つことが書けるかもしれないと思い投稿してみました。

※脳腫瘍、特に膠芽腫とは何か?が知りたくない人は読まない方がよいかもしれません


略歴

  • 2023年2月

    • 激しい頭痛と嘔吐により、大学病院を受診

    • 検査の結果、膠芽腫であることが判明

    • 妊娠中であったため、外科手術をしてから出産、その後放射線・化学療法を進めることに

    • 早産となったため、子供はNICUに入院

  • 2023年5月

    • 母子ともに退院

    • 退院後、月2の通院を開始

    • 僕は3カ月の育休を取得

  • 2023年11月

    • 別の部位への再発を確認

  • 2023年12月

    • 再度の放射線治療を行う(ZAP-X)

    • 妻は育児をすることが困難になったため、僕は再び育休を取得(最長2歳まで)

  • 2024年4月

    • 再再発を確認

    • 余命宣告される

膠芽腫(こうがしゅ)とは?

悪性脳腫瘍(脳にできるがん)の一種です。悪性脳腫瘍は、肺がんや胃がんなど一般的な臓器にできるがんとは特色が違います。具体的には、脳から他の臓器にがんが転移することがほとんどないので、ステージという概念がありません。
代わりに悪性度(グレード)という指標があり、4段階に分けられます。グレード4が一番悪性度が高く(予後が悪い)、膠芽腫はグレード4の脳腫瘍です。

※正確な情報は国立がん研究センターのHPとかを参照ください
https://www.ncc.go.jp/jp/rcc/about/brain_tumors/index.html

病気が発覚してからの気持ちの変化と日常の送り方

入院中

僕は脳腫瘍がどんな病気か全く知りもしなかったのですが、医者が話してる雰囲気から「あ、これやばいやつなんだ」ってのは分かりました。
家に帰ってからネットとかで調べれば調べるほど、現代医学の限界が見えてきました。

妻が入院中、僕は家で一人ぼっちだったので毎日のように病気について調べては泣いていました。

妻とは毎日テレビ電話をしていましたが、妻が涙することは時々でした。後日知りましたが、電話を切った後に人知れず泣いていることが多かったらしいです。

退院後

退院直後、妻と病気について改めて話し合いました。あまり長くは生きられないことは、妻の方もなんとなく自覚していたようで、入院中も一人で色々考えていたようです。
人生どうしようもないこともある、残された時間を大切に生きよう、というマインドにシフトしていってるようでした。

ただ、この時点ではいわゆる終活的な話までは出来ませんでした。現実を受け入れるのに精いっぱいだったからです。

育児に追われながら、徐々に気持ちの整理をする日々。時には涙する日もありました。
特に妻が一番つらそうだったのは、放射線の後遺症である脱毛症でした。やはり女性なので自分の髪がなくなっていくのは相当つらいようでした。

何度かウィッグ専門店に足を運んだりしていました。が、中々しっくりくるものが見つからず、それにより落ち込む日々。半年もすれば元通りの髪になるとは治療前に言われていましたし、ネットにも書いてましたが、そんなことはなかったようです。個人差があるのかな。

とはいえ四六時中落ち込んでいたというわけではなく、それなりに穏やかな日常も送ることができたのかなと思います。その要因をいくつか挙げてみます。不幸中の幸いというやつ。

①新生児の育児に追われていたこと

意識のベクトルが子供に向かざるを得ず、病気のことを考えない時間が多かったのかなと思います。やることがなくて四六時中病気のことを考えちゃう、みたいな状況は子供のおかげで回避できたと思います。

②運動機能があまり低下しなかったこと

放射線の後遺症で多少のふらつきはあったものの、1~2カ月で治まりましたし、その他運動機能の低下は特にみられなかったので日常生活を送る上で困ることがほとんどありませんでした。

③食事制限がなかったこと

妻はもともとお酒が好きでした。入院中はさすがに飲めませんでしたが、退院後は特に食事制限は設けられていませんでしたし食欲もあったので、夜は晩酌を楽しむことができました。
※がん患者はなるべくお酒を控えた方がいいという意見もあるかもしれませんが・・・少なくとも膠芽腫は生活習慣はあまり関係ないと考えられてるっぽいです
※産後は母乳のためにお酒控えるのでは?と思われるかもしれませんが、抗がん剤を服用しているのでそもそも母乳を出していませんでした。

④僕がリモートワークできていたこと

妻は育児ができる程度には元気だったので、僕は予定通り3カ月の育休を経て職場に復帰しました。
もともとリモートワークがしやすい職場だったので、復帰後もそれに甘んじてフルリモートで働かせてもらいました。
それにより、仕事以外の時間は妻・娘を支えることに徹底できました。

⑤家族の支援が受けられたこと

僕が復職した後も妻の通院は続くので、その間子供を誰かに見てもらう必要がありました。幸い、妻の実家近くに住んでいたので見に来てもらうことができました。

やはり家族の力は偉大で、心の支えにもなってもらいました。本当に感謝しかないです。

再発後

再発により、小脳失調症になってしまいました。バランス感覚に問題が生じ、歩いたり、字を書いたりする行為が難しくなりました。

今まで出来ていたことが出来なくなり、また気持ちが沈み込む日々。さらに再発後は、いつ最悪の事態に陥ってもおかしくない状況と言われているので、改めて死を覚悟することになります。

退院後から話し合えてなかった、終活的な話をこのタイミングで話し始めます。
遺言書を書いたり、どこのお墓に入るか、お葬式はどんな感じにしようか、などの内容です。

再発部位に対する治療手段としては、ZAP-Xと呼ばれる定位放射線装置を用いることを勧められました。

幸いこの治療は効果があり、腫瘍の増大は一旦食い止められました。

「よかった、妻はまだ生きられる・・・」と安堵し、僕の気持ちはやや緩んでいました。

再再発後(現在)

安堵できていたのもつかの間、腫瘍が再び増大し始めました。
医師から、もうあまり長くないかもしれないと宣告されました。

妻はすでに覚悟が出来ていたようで、あまり動揺する様子は見せませんでした。

反対に僕は大号泣。小一時間ほど病院で泣いてしまいました。覚悟していたつもりでしたが、全然できていなかったんだと思います。

帰宅してからは落ち着きを取り戻せたので、再度終活的な話をしました。他に何か決めておくこと、やるべきことが残っていないかの洗い出し作業です。

妻は、娘に残したいものを中心に目下色々と収集中です。遊び道具や絵本、メッセージカードなど。
「将来ある程度大きくなったら渡してね」、と色々と託されています。

療養中の育児について

再発が起こるまでは妻は普通に育児ができていたので、僕が育休中はツーオペで育児をしていました。僕が復職してからは、仕事中は妻がワンオペで育児をしてくれていました(リモートワークなのでちょこちょこ様子は見に行ってましたが)。

ただ、夜間対応は完全に僕が担いました。がん治療は免疫力が大事で、免疫力を落とさないためには睡眠をしっかりとることが重要だと考えたからです。
0歳児の育児って夜まともに寝られないんですよね・・・

再発が起こってからは、徐々に出来ないことが多くなり、僕がワンオペする割合が増えていきました。現在は、抱っこすることもままならず、座って一緒に絵本を読んだり、おもちゃで遊んだりするぐらいです。

ちなみに子供を保育園に入れることも考えましたが、病気をもらってきて家庭内感染するというリスクを恐れて見送りました。
妻はがん患者なので重症化のリスクがある、僕がダウンしたら育児をする人がいなくなる、という事態が想定されたからです。

現在の不安

妻を失う恐怖、悲しみという不安はもちろん大きいです。ただそれ自体は時間が解決してくれるのかなと思っています。何か月、何年かかるかは分かりませんが・・・

足元の不安としては、やはり育児です。シングルファザーとして娘を立派に育てられるだろうか?ただでさえ物理的に一番手のかかる乳幼児の育児で精神が持つだろうか?

色々と不安だらけですが、家族の支援、地域の支援と、頼れるものは何でも頼っていきたいと思っています。体を壊さないよう、頑張りすぎないことも意識したいです。

また、こうしてnoteに投稿することは、心の内を吐き出す作業として精神安定にも繋がると思っているので、ちょこちょこ書いていきたいと思っています。

以上、僕の初投稿でした。

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