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『異性愛』と未来への祈りについて
2年振りのnoteらしい。
2025年1月27日、5枚目のシングルにして自名義では初の歌モノである「異性愛 feat. yubne.38°c」をデジタルリリースしました。
※視聴URL https://linkco.re/Z3fAmDhZ
今作は、高校の後輩であるAnneの脚本を同校の埋田向日葵監督が映像化した映画「異性愛」の主題歌として書き下ろしたもので、作中の2人のトランスジェンダー、壱樹と美幸にスポットを当てたバラードです。
あらすじ
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主人公:壱樹(いつき)/佐藤ただすけ
MtF(Male to Female)。男性から女性への性転換済み。
高校時代に生まれの性別どうしで付き合っていた美幸と再会するが、性転換した彼には性的な魅力を感じなかった。同僚の楓奏への恋心から、恋愛対象が女性であることを自覚する。
美幸(よしゆき)/若林佑真
FtM(Female to Male)。女性から男性への性転換済み。今は男性のパートナー(拓眞)がいるが、壱樹と再会し好きな気持ちが再燃する。
相手の性別が変わっても恋愛感情は変わらない美幸と、相手の身体や社会的な性別が恋愛感情の前提条件になる壱樹。本物の女とは、男とは、自分とは、愛とは。
社会や自分自身との間で揺れ動く主人公たちの選択を描いた物語。
本物
埋田監督からのオーダーはひとつ。壱樹と美幸のどちらか一方だけを正解にしないこと。
登場人物たちの人間らしい気持ちの揺れや迷いを否定せず、そして実際に同じような矛盾や葛藤を抱える現実世界の私たちごと包み込むような歌にしようと決めて制作しました。
私のnoteではたびたび自身のセクシャリティやLGBTQsについて言及してきました。恋愛感情が無い(アロマンティック)自分の持つ劣等感、トランスジェンダーをはじめ、性的マイノリティ差別への怒り。
※「性と愛について」
https://note.com/mrst_q/n/n85fd16dde408?sub_rt=share_b
※「私たちがしている差別について」
https://note.com/mrst_q/n/n226c5974be6a?sub_rt=share_b
映画「異性愛」では直接的な被差別のシーンは描かれていませんが、彼らがこれまで経験してきた葛藤や抑圧が台詞の端々に滲み出ています。
なかでも印象的なのは「本物」という言葉。男体に生まれ、性別適合手術を受けて体と戸籍を女性に変え、女性に恋する壱樹は果たして「本物の」女性なのでしょうか?
女体に生まれ、同じく性別適合手術を受けて男性として生きながら男性と交際し、トランス女性である壱樹にも好意を寄せる美幸は「本物の」男性なのでしょうか?
昨今の女性スペースに関する話題でも、「トランス女性は女性ではない」「本物の女性でない奴は見れば分かる」「本物の女性なら女性の気持ちが分かる」などの言説が声高に叫ばれ、物凄い勢いで(恐らく肯定のニュアンスをもって)拡散されています。
しかしどうでしょう?私は女性ですが、女性の気持ち(誰のことなんだろう)が分からないどころか大抵の人の気持ちもわかりません。ただ経験から予測し、コミュニケーションを図りながら、それでも傷つけてしまったら謝って反省する。これの繰り返ししかできません。
私は「本物の」人間ではないのでしょうか?
(※性別変更の要件やWHOが性別不和を精神障害/疾患の分類から除外した経緯は長くなるので書きませんが、ここら辺の知識があればほとんどの誤解による差別は無くなるのにな…と日々思います)
屁理屈は置いておいて、私が最もくだらないと思うのは人が人をジャッジすることです。
自分の尺度で他人のなにかをジャッジすることはとても失礼なことだし、特定の属性を理由に誰かを排除したり攻撃することは差別以外の何者でもありません。
そしてそれは当然、女性を含む全ての人を性犯罪から守ることと両立します。
その過程において男性より女性、トランスよりシスジェンダーといった優先順位をつけてはいけません。排除すべき相手は性犯罪者であり、ジェンダーに関わらず他人の権利を不当に侵害する人がいてはいけません。
ジェンダー、人種、外見など特定の属性に犯罪者が多いからと、属性ごと排除することは差別です。
こんな当たり前のことをわざわざ言わなければならない程に当事者たちは疲弊し、諦め、口を噤んでいます。インターネットの拡散システムの前では、マイノリティは圧倒的に不利だからです。
改めて、全ての性的マイノリティの人々に向けて連帯の意思を表明します。
音楽と祈り
音楽には、100%説明して証明しきらなくても人を納得させ、気持ちを前進させる魔力があります。濫用すると効力が弱まるので、私はこの曲で初めてその力を意図的に使いました。
毎日毎日止まらない大音量の無理解・差別に絶望する当事者たちをなんとかしてつなぎ止めたい。できるならこれ以上傷つかないでほしい。でも私の拡散力には限界があるし、インターネット上で論争をしたところで二次被害を生むだけ。
だから、2025年の最初にこの映画と曲を設置します。
必ずしも今すぐ起爆する必要はないので、流行りそうなフックやバズりを狙ったアレンジはあえて控えました。それはここでの自分の役割ではないとも思うからです。
「異性愛 feat. yubne.38°c」は必死の祈りであり、私にできるせめてもの切実な足掻きのひとつです。
映画「異性愛」にはマイノリティ当事者が差別と戦う描写がありません。LGBTQsであることをオープンにせず、レインボープライドにも積極的には参加しない、静かに日々を生きるごく普通の人々のリアルな質感が描かれています。
私が望むのは、この映画がなんでもない普通の恋愛映画として受け取られる未来。社会派の問題提起作品ではなく、誰が見ても平凡な、よくある人間模様の記録として鑑賞される未来です。
だから、主題歌である「異性愛 feat. yubne.38°c」もそんな未来で流れる想定で書きました。
性的マイノリティが差別と戦う歌ではなく、あなたがあなたであり続けるというかけがえのない事実を歌いたかった。どんな属性でも、どんなに変化しようとも、常にあなたこそが唯一無二の「本物の」あなたなんだ。
そんな、あらゆる時代のあらゆる人に向けた曲です。
『異性愛 feat. yubne.38°c』
作詞作曲:モリシタヒビキ
歌:yubne.38°c
やわらかだった君
やわらかだった恋心
ばらばらな 私たちの
固く握った同一性
堅い言葉は口に合わなくて
固くなった君は新しい人で
ほんとに好きだった
ちゃんと大好きだったよ
本物の君が好きだった
やわらかだった君
やわらかだった恋心
ばらばらな私たちの
固く握った同一性
ひとつ ひとつ 選びながら
ひとり 自分を見つめる 見つける
固さ 手放した君
硬いままの恋心
ままならぬ僕たちの
交わらぬやわらかさ
世界でひとつ 私
本物であり続ける
自分であり続ける
違いを両腕に抱いて