かふくはあざなえるなわのごとし
Sadness and gladness succeed each other.
(悲しみと喜びは交互にやってくる)
kotowaza-dictionaryより。
まさにそんな1週間でした。
まあまあ大変な前半
週の前半は、担当生徒さんが、SPITがひどくて、ストレスがかかってくるとよく出る行動なんだけど、この日は、あまり理由が思い付かなかった。
静かすぎた教室が原因かもしれないし、いつ大声を出すかとハラハラする私の微妙な気持ちを読み取ったのかもしれないし、ただ単にお腹がすいていただけかも。
もう、「敗戦投手」(さだまさし)状態でした。とても惨めだった。クラスの先生からも、わざとやっているんだから、毅然とした態度をとるべき(みたいなこと)というアドバイスをもらったんだけど。
とにかく、おちた。まあ、そのあと、知り合いに会うとかという予定もなかったのでいいんだけど、ホンと沈んだ。
ただ、AKLのベストフレンド(韓国人)から、平日昼間のこの時間にテキストが来た。彼女のタイミングはいつも絶妙だ。
(昨年父がなくなったその日にも、どう?っているメールを送ってきていたし。)
多分、なんかもっていると思う。特殊な能力。本人も、母親から?(だったっけかな)に言われたことがあると。
今度チャンスがあったら、聞いてみよう。他にもないか。
ことわざの意味(AI生成)
このことわざは、禍(わざわい)と福(しあわせ)は、まるで糸で結ばれているような関係にあるということを表しています。
禍とは、災いやつらいことを指します。一方、福は、幸せやうれしいことを指します。
例えば、ある人が大切な仕事を失ったり、大けがをしたりすると、それは禍と言えます。しかし、その後に何か良いことが起こるかもしれません。例えば、新しい仕事が見つかるかもしれませんし、周りの人々の温かいサポートを受けることもあるかもしれません。
逆に、ある人が幸せな結婚をしたり、大きな宝くじに当たったりすると、それは福と言えます。しかし、その後に何か悪いことが起こるかもしれません。たとえば、結婚生活がうまくいかなくなったり、お金を使いすぎてしまったりする可能性もあるでしょう。
つまり、禍と福は、いつも切り離して考えることはできず、必ず結びついていると言えるのです。禍の中に福があり、福の中にも禍があるということです。糸で結ばれた縄のような関係です。
このことわざから分かるように、人生には様々な出来事が起こります。それぞれの出来事は、禍か福か、それを判断するのは時間が経ってからです。ですから、どんなにつらいことが起こったとしても、希望を持ち続けることが大切です。そして、幸せな出来事が起こったときには、それを謙虚に受け入れることが大切です。
終わりよければすべてよし(金曜日)
きょうは、結局3ヶ所ではたらいた。午前中はティーチャーエイド(学校、定職)、1時間のサポートワーカー、臨時のリリーバー。
臨時のリリーバーでは本当にドタキャンだったらしく、急遽お呼びがかかった。昨日の今日で、あれと思ったけど、「頼まれ事は試され事」と思い最善をつくして、働かせてもらった。
必要なときは、あちらから仕事が転がってくるんだなと思った日だった。それにしても、仕事2に行く前にメッセージにきがついてよかった。
そして、リリーバーでは、むっちゃ持ち上げてもらって嬉しかった。いくつになっても誉められるのは嬉しいよね。ありがとうも、何回も言った。(いつものことだけど、、、。)
昨日も、タッチのチームが見つかってよかった。(昨日も書いたけど)いいチームに声をかけたと思う。まるで、自分がAKLでしてきたかのような対応だったのが、デジャブではないけど、歴史は繰り返すというか、情けは人の為ならず(情けで、新メンバーを歓迎してきたわけではないけど)、まあ、そんな感じがぴったりと来る出会いだった。
ヴィヴィっときた、ってやつですね。はは。
また、アップダウンがあるんだろうけど、今は、3連休、レイバーデーを前にわくわく、るんるんです。