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◆渡米8周年記念振り返り月間◆#1:渡米のきっかけと渡米前の私

今日11月12日で、渡米してから丸8年になりました。

2012年11月12日にサンフランシスコ空港に降り立ってから丸8年も過ぎたとは。。。

おつかれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!

色々あったけど、がんばった自分。

渡米する前に住んでいた神戸での年数(7年半)を超えて、生まれ育った広島の次に長く住んだのがここベイエリアになりました。

来年初めには新しい土地で生活をスタートしている予定なので、ベイエリアで過ごしたこの8年を振り返り、記録します。

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渡米してみて、私が今まで会った日本人の多くは、国際結婚を機に移住してきたって人が大半、その次に多いのが企業の駐在員として赴任している人。

(もちろん、それらの理由で渡米するのが悪いってわけではありませんよ)

私の場合は、最初はJ1というビザを取得して渡米して、こちらで知り合ったアメリカ人と結婚したことでグリーンカードへ切り替えて、今に至ります。

(J1ビザというのは、簡単にいうと、いわゆる「インターン/トレーニー(研修生)ビザ」。滞在期間は1年から1年半です。

詳しくは:https://j1visa.state.gov/basics/ )

渡米して間もないころ、初めて会う人と話すと

「何がきっかけでアメリカへ来たの?」と聞かれることがありました。


私の答えは、

「私が29歳の時、母が癌で亡くなって、

”人生とはなんと短いのだろう”と、実感したこと。

”(死ぬまでに)自分が本当にやりたいことをやらねば!”と強く思ったこと」。

母が亡くなってから、強烈に、「本当に自分の好きなことをやらないといけない」という思いに駆られた私は、とりあえず英語の勉強を再開します。(英文科卒。他に何も浮かばなかった。でも英語がとても好きだったので。)

通訳・翻訳スクールにも通って、やがて英語が公用語の外資企業に転職します。(働きながら学校2つ掛け持ちして、過労で倒れたことも・・。ドヤってるのではなく、無茶してたなぁと。それくらい、何かしなければ!!みたいな気持ちが強かった)

新しい職場で才能あふれる優秀な人たちに沢山出会い、本当に自分の求めるものや、自分のやりたいことがぼんやりと見えてくる私。

いつかはアメリカにまた戻れたらと思っていたけれど(大学生のころ、5カ月だけ南カリフォルニアでホームステイをしたことはあった)、機会も才能も金もなく(努力も特にしていなかったし)気が付けば30代。

職場で優秀な人達と接する中で、もっと広い世界へ出ていきたいという思いが強くなったころ、J1ビザの存在を知って、渡米を決意します。

しかし、私はそのころ日本人と結婚していたのでした(←初婚)。

この結婚生活はどうするのか・・・・?

渡米を決意する前から、自分の中では結婚は破綻していたけれど、終わらせるのが怖く(主に経済的な理由)、行動を起こせずにいたのです。

じゃあ、もしアメリカに行かないのなら、私はこの結婚生活を続けたいのか?

その答えはノーでした。

離婚して自分の稼ぎだけで生きていく。生きていけるんだろうか?(へっぽこ過ぎてすみません。。それを当たり前にやっている多くの社会人が存在することに尊敬しかありません!)

苦労することも沢山あるだろう。

でも、どうせ苦労するのなら、
自分の好きなことをやって生きていこう。

そう思って、渡米への決意は更に固くなり、まだ何の保証もないのに

「アメリカに行く!」それだけを決めて、前に進みます。

(まず当時の夫と別居するのですが、この私の別居生活を助けてくれた恩人(友人)の話もいつか別の機会に)

J1ビザを取るには、まず仕事(研修先となる企業)を見つけてから、ビザの申請となります。仕事探しからビザ申請、渡航の準備までをサポートする専門のエージェントが数多くあり、私もエージェントを利用して進めました。

思い立って最初のエージェントの説明会に行く:2012年2月か3月ごろ

当時の夫と別居開始/2つ目のエージェントで仕事探し開始:4月ごろ

離婚成立:7月

離婚成立後エージェントに苗字が変わったと伝えると

「離婚したばかりの30代女性はビザが下りない可能性が高い」と言われ(!!)、別の3つ目のエージェントに問い合わせ、事情を話す→

「(ビザ取得に関してあなたの条件は)別に問題ないですけど?」とあっさり言われそのエージェントに乗り換えて仕事探しを再開したのも7月。

仕事(研修先)の面接&採用決定:7月末

(J1ビザ取得の道のりについては、比較的恵まれていながらも紆余曲折あったので、それはまた別の機会に。)

卒業した大学から卒業証明等を取り寄せるなどビザ申請に向けた書類準備:8月~

仕事を辞める:9月

ビザ面接@アメリカ大使館in大阪(その場で承認されました、と言われパスポートにビザが貼られたものが1週間後くらいに届く):10月半ば

渡航までの荷物の整理や準備:10月半ば~

関空からインチョン空港経由でサンフランシスコ空港へ:11月12日

因みに、渡米当時、私は34歳。

34で人生やり直す(?)人もなかなかいませんよねーーーーーーー 笑。

25歳の時、ホームステイで一緒だった大学時代の友達にばったり会って、彼女は映画監督になるのが夢だったので、その後どうなったかというような質問したら、彼女は、

「わたしらもう25よ。今からそんな新しいこと始めるとか、無理じゃん」

私は、お、おぅ。。みたいになって、その後はテキトーに会話して別れたと思うのですが

今思えば25歳なんて、20代なんて、何回でも挑戦して、何回でも失敗して、それでもまだお釣り来るくらい、七転八倒できる時やわ、と。

J1ビザは申請に年齢制限(35歳)があるので、そういう意味で年齢が関係することもあるけれど(わたし、ぎりぎり滑り込みセーフ)

30代でこんなことするなんて・・・

などと思わず挑戦してよかったと私は思っています。

むしろ、バカみたいに楽観的!

もちろん、ビザの面接に行くまでは不安で怖くて、これで全部だめだったら・・とかもがき苦しみましたが、無事承認されて渡米し、いろんなことがあったけれど、パートナーにも恵まれて幸せに暮らしています。

グリーンカードに切り替えてからは、転職もしました。

人生わからんもんです。

在米歴も長くなるにつれて、ここ数年腰が重くなっていた自分にとって、渡米前の自分を振り返る作業で、自分が一番励まされた気がする・・・。

40代。押し寄せる老化の波・・。中年のつらみ・・たくさんある。

だけど、アメリカ行く!と決めたときの自分を思い出して、40代も張り切って行こう。

(でもnoteではちょくちょく愚痴ってます。中年のつらみについて)

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