トーテムを観ると、期待していない感動と少しの筋肉痛。
人生で初めてシルクドゥソレイユの"トーテム"を観た。
なるほどこれが、超一流の仕事なのか。
そういう印象に対して生まれた感動という言葉が、感動という言葉ですら評価にふさわしくないとまで感じられる程に感動した。
どこから文字におこせばいいのか正解がわからない。
まず、個人のパフォーマーが言葉通りに"意味不明"なのだ。
何が意味不明かというと、
身体能力が、同じ人間とは思えない。
そういう意味で意味不明だった。
いや当たり前やん。
そんなコメントはもう重々承知の上で感想だ。
パフォーマンスの一つ一つが、丁寧にも理解を超えていた。
超人的バランス、何その筋肉、どこからの発想!?
開いた口を塞がらせないなんて朝飯前なパフォーマンスに喉が乾くレベル。
そして何が一番凄かったかって
自身すら120%を発揮しないと成功しない技に挑戦する
ことだと思う。(素人目に勝手な解釈をしているだけなのも否めないのでツッコミはなしで)
なぜそれを感じたか。
パフォーマンスの中にはパフォーマーの方ごとではあるが所謂”大技”がある。
前提としてその大技に到達するまでには、当たり前にとてつもない技を連発している。
もうその時点で喉は渇いてる。
しかしだ、その段階でブッ込んでくるのだ。
”大技”を
しかも”ガチ”なんだ
パフォーマーが纏う緊張感が一気に跳ね上がる。
実際に見て欲しい。
失敗をすることがあるのだ。
そこにはリアリティが存在した。
流石はプロと言うべきか、失敗をしても成功なのだ。
それはなぜか。
120%に挑戦しているからだ。
勿論、成功したら拍手喝采。
失敗しても、お客の望んでいる範疇での成功(=100%)はしているのだ。
つまり彼らは期待していない感動を、生もうと努力するのだ。
ここに超一流の仕事を、ひしひしと感じた。
お客ですらも考えていなかった感動を生む仕事。
なんとも痺れるじゃあありませんか。
その心意気を全パフォーマーから感じられた。
これだから最高の舞台が出来上がるんだなと。
さらっと言ってるけど、とてつもないことだと思う。
まず個々人のレベルで超一流。
そんな個々人が集まって成り立つ超一流のチーム。
そんなん最&高に決まってるじゃあありませんか。
一流にすら簡単にもなれないけれど、超一流になるヒントは学べた気がする。
・基礎を最大限に極める(洗練させる)
・その上でオリジナリティを生む
・常に限界のその先に挑戦する
こんなとこなのだろうかと感じた。
文字に起こすとあっけらかんな気もするが的は外していないだろう。
離れ技で基礎を飛ばして発展ばかりに挑戦する人は多いと思う。(そうだ、僕のことだ。)
だが結局のところ、それでは超一流にはなれない。
荒削りの技には、再現性が難しいだけではなく、必ずボロが出てくるからだ。
いやほんと、基礎から鍛錬しようと思いました。
超一流になりたいもの。
そして”トーテム”というタイトルに隠された思い。
そこには”人類の進化”という意味が込められているそうです。
人の好奇心・欲望・情熱を追い求め、人類の誕生から現在、そして未来へと数億年の旅を続ける-不可能を可能にする人類の進化をテーマにした壮大な物語である。
演出家のロベール・ルパージュ氏が述べていた(多分)
異なる生き物が共に生きる世界を表現した
という言葉。
なんだよ、僕が追い求めている世界じゃないか。
同じ理想を掲げる演出家の追い求めた世界観。
それを思うだけで、感性が磨かれました。
演目ごとに異なる世界観を体現し、それでも最後には一つになる。
共通言語が言葉でなくたっていいじゃない。
一緒に楽しく踊れば、それだけで仲良くなれるじゃない。
見てるだけでも楽しいな、むしろ一緒に踊りたくなった、踊りたかった。
なるほどこれが、エンターテインメントらしい。
終わってから気付く体の気だるさ。
これは筋肉痛というやつか。
どうやら興奮しすぎて、身体中に力が入っていたらしい。
凄いぞ、トーテム。
凄いぞ、シルクドゥソレイユ。