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20代でやってよかったこと

年代シリーズ最後。

遠い昔の記憶になるつつある、約20年前。私たちの世代はミレニアルの始め、就職氷河期の終わり頃、昭和が多く残る風土・文化で「バックパックの世界旅行」「一流企業に入っておく」などなど、みんなそんなことを言うのだろうか?

私の基本姿勢は、人と違うのが好き。しかし残念ながら、天才でもないわけで、田舎から出てきて東京で暮らしていかないといけないわけで、実家も金持ちでもない。20代は、私の場合も横並びで同じく、大学生、留学、大学院、音楽活動なんかの趣味、就職・転職、結婚を経験。そんな普通な私が思う、20代でやるべきことで、影響を与えた順で4つほど。

  1. デジタルメディアの世界に入ったこと

  2. 大学院

  3. 投資

  4. 留学

デジタルメディアの世界に入る
これはつまり、「次に来るなにかを見定めて、bet(賭ける)した方がいい」ということ。私の場合は、未来的な最新技術が好きで、2003年ごろの学生時代に、ウェブサイト制作なんかも会社レベルのものをフリーで受けてたりと、今思うとかなり甘い時代だったのだ。これからだとなんだろう?私的なアンテナは、科学、医療、教育、アート、再生エネルギー。次に何が世界を席巻するかを見て行動すると、その分野は株価が押し上げられ、資本主義的には自分の収入が上がることになる。その仕組みに紛れ込める可能性がある。興味の先の未来を見ること、がおすすめ。ただし、私は単なる結果でしかない。が、本質的に未来志向というのはそういう利がある。

大学院。
私が都内にある国立大学の大学院にいったのは、就職の引き伸ばしであり、音楽活動を続けるためだった。大学院では、ここも勉強それ自体よりは、もっと違うところにあった。公式的に分析論や考察論を学び前例研究を調べあげ、自分のやることがいかに新しいものかを示す、というアカデミックでより公式的な書面上のいわば「セルフプロデュース」を学んだことである。書面での戦い方。そして、なにより「大学院卒」というレアな状態は、特に外資系の企業には(彼らにとっては普通だが)さらによく映る(はず)。知識量や論理構築の差は、他の新卒の学部生と比べるとやはり差が出るしそれはとても感じ取った。(そして、学部生はね、と言えるのは、大学院を経てる人だけだったりしてそれもある種のマウンティング素材になる。使わないけども。)経済を率いているアメリカにおける、大学院卒はもう普通なことになっている。学部は最低限の知識で、大学院は新しいことの研究に突入する。文章の書き方、分析の仕方、アカデミックなやり方=ビジネスの場でのルールを知ることができると思う。どこの大学院で何を勉強するか、ということではなく、武器としては強力だったので、書き留めておく。ただ、この院への関心度が、母校の在学生には強くてそのことはまた別で書こうと思う。

投資。
(すべてにおいて、自己責任でご判断をお願いいたします)私の投資は長期積立派で、NISAもなんでも早いに越したことがない。なので20代という早い段階で金融学習のためにもやったほうがいい。今はかなり浸透していて、政府を上げてやっているプロジェクトなって投資の認知度が一気にあがってしまった!現在40代の私の世代は、NISAを機に投資を始めた人もかなりいる。私の周りN数統計では、男性のほうがより積極的で、女性は全く手をつけていない事が多い。女性たち、本当にもったいない。金融庁が出している(んですよ!)積立シミュレーターなどもあるのでぜひやってみたらいいと思う。考える暇があったら1万円からでも今日始めるほうがいい…(と言い続けて久しいが、友人たちは、なにかそれでもできない要素があるらしい。これはビジネスチャンスポイントかもしれない。)

仕事で金融のクライアントを担当していた26歳。わからないまま複数の投資銀行に口座を作った。セミナー開催なども会社の仕事としてクライアントとやっていたのでその時に紹介されていた「ステート・ストリート海外株式インデックスオープン」「トピックスオープン」他中国ファンド(陰りが見えてきた頃に解約)などをとりあえず1万円づつ積立て、長年塩漬けにしておいた。当時はアベノミクスもあり、中国の景気の影響もあり、数年見ていなかった投資成果がすごいことになっていて、30歳ぐらいに「これが長期積立複利のすごい理由か!」と理解をした。今、さらにそれを実感している。ここから勉強をして今に至る。

留学。
ここも実は勉強や英語って話ではない。20年前、携帯もなければ、インターネットすら有線の時代。「すべて理解していない言語の、全く違う文化シャワーを浴び、ゼロの状態から、1人で処理する」状況をする経験は無敵。

私は、大学3年の夏から1年、アメリカはニューヨーク州の私立大学に1年転入した。留学したいだけでお金もないし成績もよくないから、プライベートでやっている奨学金会社を受けまくって、在籍していた大学からも融資をうけて、200万円ほどを用意した。親からも200万円は用意してもらった。この間、親の英語力はゼロ。構想・準備・実行までおそらく全部自分でやったのだ。英語の試験、申請、合格後のペーパーワーク、学生ビザ手配からチケット手配、学校のやり取りまで、一体自分でどうやったのかも今は本当に思い出せない。実際、悲しいと思う時間がないほど失敗して麻痺するぐらいに、眼の前のことをこなさなければならない日々だった。




この後のストーリーは、大学院卒業後に新聞社に入り広告営業職につく。ファッションとデジタルメディアを諦められず、そういうメディア会社に転職。この会社で20代で初の営業管理職に就く。結婚する。音楽活動を辞める。そして、30代の挫折へ突入して、挽回して、学んだことが → 「30代でやってよかったこと」

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