ジェンダーレス男子との同棲
1996年2月 真冬の札幌は例年通り寒い日が続いていた。
当時の私は札幌市内のホテルのフロントで働いており、夜勤もこなしていた。昼から勤務し、翌昼に終了するという毎日を送っていた。
終業後、制服から私服に着替えてホテルの裏口からでると必ずと言っていいほど笑顔のBAKUが車で迎えに来ていた。モデルをしながら、お母様の介護をしていた彼だからこそ、平日の正午過ぎにそんなことができていたのだ。
「BAKUくん、今日も着たの?ごめん、僕今日は友達と約束があって一緒に居られないんだぁ」
「いいよいいよ、俺が勝手に来てるだけだから!友達のところまで送っていこうか?」
「(BAKUの)お母さん、病院でしょう?時間大丈夫?」
「今日は検査で夕方くらいまでかかるから大丈夫だよ」
そんなふうに短い時間でも毎日のように顔を合わせるようになった。私に他の予定がない日には、石狩の大浜や、支笏湖などへドライブしたり、私の家で夕食を一緒に作ったり、朝までお話をしたりして過ごす日々。
時には、彼の友達が集まるカフェに行ったり、"宅のみ"に招かれたりすることで、友人に対する彼の接し方や人間性に惹かれていった。
そんな毎日を過ごすこと半年・・・BAKUが突然一緒に暮らそうと言い出した。
「俺、きちんと自分で稼いだ金で部屋を借りてダイナを迎え入れたい。今はダイナのご両親が用意してくれた部屋に来ているけど、俺年上だし、きちんとしたいんだ」
「え?ちょっと、よく理解できない… というか、BAKUくんのお母さん。介護どうするの?」
「弟が東京から帰ってくるから、弟と交代する。で、俺は、これからモデル以外にも働いて稼ぐことにする。だから俺の部屋で一緒に暮らそう」
当時、私たちは互いに好きではあったものの、「付き合おう」と互いに同意した関係ではなかった。
BAKUはいわゆる"のんけ男子"。
「自分はゲイではないから、"彼氏"が欲しいわけじゃない。ダイナと一緒に居たいだけ互いに好きなら、付き合うとか関係なく、一緒にいればいいじゃん」
と、男同士が付き合う事が理解できなかった。一方、私は、ずっと一緒に居るという約束や、付き合っているという形が欲しかった。
"二人の関係性"についての互いの見解は異なるものの、好きであるという気持ちが同じ二人は、北区北31条のとあるマンションへ引っ越しを決意した。