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厄介な癖・回顧録

なんとなく自覚したのは高校生くらいの時。

軽く話す程度だった男子に好意を持たれて、告白されて

その時私は、その男子に対して怒りというかムカつきというか
とにかくそんなイライラした感情を抱いた。

「大して私のこと知りもしないくせに、大して好きでもないくせに、告白してきやがって!!」と。

そして相手に、自分がどれだけダメな奴なのか説明して、わざと幻滅させるようなことを言って
「あなたが勝手に抱いていた私のイメージ壊しちゃってごめんね。でも本当はこういう人間だから。ね?もうやっぱり好きじゃないでしょう?」とたたみかけた。

どうしてそんなに必死になって、相手がその好意を取り消すのを望むような行動に走ったのだろうか…
あまりにも無意識だった。

しかしその時のその男子の、まったく予想だにしていなかった展開に困惑した、そして悲しそうな、複雑な表情を見た時

ビリビリとした、指先まで痛みを感じるほどの電流を感じたのだ。

皆さんは、アドレナリンが一気に大量に流れる瞬間を体感できたことってありますか?

きっとそんな感じだった。

まぁ、大抵の男性はそんな私の行動、姿に「脈ナシ」を感じて去っていく。

去っていく背中を眺めながら、私は傷つきながらもなぜか少し安心する。

しかし中にはそれでも、蹴落としても蹴落としても懲りずにアタックしてくる男性がたまーに存在するのだ。

私はどうしても、そんな男性のことを

もっと傷つけたくなってしまうし
と同時に愛しく感じてしまうし
憎たらしい気持ちと愛でたくなるような気待ちが混在して

全身を電流が駆け巡って

困らせてしまう、悲しませてしまう。

困ってる姿を見るたびに、悲しんでいる姿を見るたびに、アドレナリンが大量に湧き出てきてとてつもなく興奮してしまう。

わざと嫌われようとしたり、幻滅されようとしたり、突き放したり。
めちゃくちゃ冷たくしてしまったり。

厄介だ。これは非常に厄介だ。
(これはいわゆる、メンヘラちゃんとか構ってちゃんとかいうジャンルなのだろう、まだ当時そんな言葉は存在しなかったが)
自分なりに、
やべえなこれ、なぜこうなった!?
という思いはあるので振り返ったところ

私は上記のような突き放し型の愛情確認を母にされていました。

母は怒ると長時間無視したり、
「もうお母さんて呼ばないで。ただの同居人として接しなさい」と言ってきたりする人だった 。

父に捨てられた母は、子供である私に対して「あなたまで母さんのこと捨てるの?どうなの?」と、母のことが大好きに決まってる私を問い詰めた。
「あなたの目はお父さんと似ているから、わかる。もう本当はお母さんのことなんて嫌いなんでしょう?」と問い詰めた。私はいつも泣きながら否定した。

突き放すことで
そしてそれでもすがってくる私の姿を見ることで、母は愛情確認をしていたのかもしれない。
失われてしまった自信や自尊心をそうやって補っていたのかもしれない。

子供時代、私は父が出て行き女所帯の家庭で育ったため、「父性」というものを注いでもらったり実感したりした経験がない。

そのため男性に「何かを与えてもらう」という感覚がイマイチ無い。

困った時に支えてもらったり、寂しい時にそれをアピールしたり、悩みを相談して苦しみを共有したり、そんな風なことをしたことが無い。
とにかく男性に、精神的に甘えるということがよくわからない。

男性とはそういう対象では無いのだ。
そして私にとってそれが普通なのだ。

逆に言えば、私が唯一男性にも甘えられるとしたらsexの時だけなのかもしれないが。

いや…。書きながら、じゃあ女性相手にも甘えたことなんてあったっけ?と考える。多分無い。
ということはこれは単純に私の性分か。まぁ良い。

私にとって、愛情とは

母から注がれる愛情(母性)のみが、すべてだった。

母性で包み込み、愛でて、
かつ、突き放してもすがられることにより愛情確認をして安心する。

母にとってその対象は子供である私だった。

そして私にとってはその対象が、どうやら、私に好意を寄せる男性となったのだ。

甘えることも頼ることもしない。
でも、私の手によって傷つけられた相手が、私の手によって満たされている姿を見るとなんともいえない興奮を覚える。

私は愛されているんだ、と明確な何かが少しだけ顔を出してくれる。安心する。

私は嫌われようとしながらも、相手がそれをどこまで受け入れられるのかどうかを周到に確認していた。

可愛くて優しい私を好きになるのは簡単だ。
でもそんなものに意味はない。
綺麗で素敵なものを愛したいのは皆、同じ。

だからもっと最低で最悪な私を見て、そして最低で最悪な私を好きになって欲しいと

本当は欲深く望んでいたのだ。

私でないと駄目な理由を。

もちろんこの厄介な自分の癖を自覚してから、年齢を重ねるととともに理性で抑えこむ術も身につけた。

しかし身体が覚えてしまったあの「電流」は非常に甘美であり、失い難い…
 

長らく、そんな葛藤を抱えていた。


"自分はあんなに(母に)されて嫌だったことを、今度はする側になっているなんて"
…実はこれは、誰もが抱える可能性のあることで
・勉強勉強、受験受験と親に縛りつけられて嫌だったのに気付くと子供に同じことをしていた
・浮気をされた体験から、その後誰と付き合っても自分が浮気してしまうようになった
・子供の頃仲間外れにされていたのに、気付くとママ友を仲間外れにしていた
 
こんな例はいくらでもある。
もっと激しい例なら、虐待だって連鎖する。
 
 
欲求不満の代理解消。
復讐の連鎖なのだろうか。



 
 
いつしか母は私に父の姿を重ねなくなっていた。

今となっては、当時私に何を言っていたのか、母は何も覚えていないと言う。
記憶喪失にでもなったのだろうか?わからない。

あの日々は私にとって何だったのか。

私も気がついたらこの癖が疼くことはなくなっていた。

厄介な癖から卒業するきっかけは、いつ訪れるかわからない。
 
 
それでも、俯瞰して自分自身や代理行為について考察することが、卒業するきっかけとなることは必ずあるだろう。
 
 
真の愛情も優しさも、他人に求めるものではない、
自分の中に見出すことが必要で、そしてそのためには
自分自身を見つめるという行為が
何よりも有効だろうと…私はそう思う。

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