【気軽に議論】"不倫すると子供が可哀想"という一般論に対する私の意見
不倫反対論にて必ず用いられるのが、「子供が可哀想だから」という意見。
大人から見て、親が不倫してるなんて可哀想、ということなのだろう。
今日はその大人サイドからの意見に、子供サイドから一石を投じたい。
私は、「親が不倫したことによって家庭崩壊に遭った子供」当事者としての経験を持つ。
はっきり言って、その子供が可哀想かどうかは大人(傍観者)にはわかるはずがないと思う。
安易に可哀想がる、そのことの方がよっぽど残酷だと思う。
ではまず、「可哀想な状態」とは何なのか一つずつ洗い出していこう。
まず一つ目は、性的な要素について。
親が、親同士以外とsexすることは子供にとって可哀想なのだろうか?
例えば父親が母親以外の女性と付き合っているという事実を知った時、母親以外とsexするなんて不潔!という思考になるとする。
しかしそれは、厳密には、不倫だから不潔、という思考ではないのだ。子供にとって、たとえ実の父親と母親同士でも、「sexしている」という事実は気持ちが悪いからだ。
父親が母親とsexするのは気持ち悪くなくて、母親以外の女性とのsexは気持ち悪い?いやいやそんなんじゃない。
「とにかく親がsexしてるなんて気持ちが悪い」のだ。相手が誰であれ。
もし、お母さん以外とsexするなんて…不潔!近寄らないで!となる感覚を抱くことが出来るくらい思考が育っているなら、そもそも「お父さんがオナニー」することもめちゃくちゃ気持ち悪いし、「お母さんと今でも現役でsexしてる」としても、やはり知ってしまったら気持ちが悪い。
要は親の性行為や性欲を認識することは全て嫌悪なのだ。
親が不倫してなくたって、もし両親の喘ぎ声を毎晩聞かされていたらその子供は「可哀想」だ。親から親の性を連想させられてしまうことが自体が子供には耐え難い状態なのだ。
だから、不倫=可哀想、に「両親がパートナー以外の相手とsexするなんて可哀想」かどうかは当てはまらないと思う、というのがまず一つ目の私の意見。
ま、これはですね、不倫どーのこーのじゃなくてひたすら子供には性的な部分は見せないように努力するしかないと思う。
口で説明するのはいいのよ、性教育として。でも生々しさは毒である。
ただし、「親同士の性行為は気持ちが悪いとはいえ、それによって自分が生まれたわけだし理屈で理解はできる。…が、親が親同士以外とする性行為なんてものは甚だ虫唾が走る、生理的嫌悪感が段違いである」という感覚はきっとあると思う。
それについては次に述べる二つ目の理由と結びつく。要はそれを「家族に対する裏切り行為」と感じるかどうか、ということだと思う。
それは性行為の有無が焦点となるわけではなく(多分デートしてるだけでも裏切り行為だ!と感じる人は感じるだろうし)、肉体的行為と感情を切り離さずに考えれば自然と湧き起こる嫌悪感なのかもしれない。
というわけで次。
二つ目の要素は、「感情」について。
父親が母親以外の女性と付き合っている、これはつまり子供としては「お父さんはお母さんのことが好きじゃないんだ」→「じゃあ私(きょうだい)のことも好きじゃないんだ」という思考に辿り着き、傷つくことと結びつく。
これは「可哀想」と言えるだろう。親からの愛情が失われてしまう(と感じさせる)こと、これは子供が1番傷つくことだ。
しかしこれもまた、例えば「父親は母親のことを好きじゃないけれど、浮気や不倫もしていない」場合と比べるとどうか?
父親は母親を好きじゃない、という事実は同じ。もし子供がそれを知ったらやはり傷つくだろう。
単にそれを「知る」「実感する」わかりやすい事象が、不倫なのである。
なので、不倫してるかどうかに関わらず、夫婦の愛情が冷めていれば、それを知れば、子供は傷つくのだ。その時点で、不倫してなくたって「可哀想」な状態だ。
もし愛情が冷めているのなら、不倫をするしないの前に、その気持ちを子供には気付かせることのないよう、仲の良いフリをするのは義務だと思う。
逆に言えば、不倫してたって、子供の前で完璧に仲良しのフリが出来ているのなら、そっちの方が子供の成育環境には良い。
できれば、親から子への愛情と、夫婦間の愛情は完全にはイコールで結びついていない、それぞれ別に存在しているものだと教育できれば将来的にはベストだと思うが。
これが二つ目の意見である。
そして、三つ目だが、不倫の事実が夫婦間でバレてしまうなどして、母親が傷つく姿を見せられてしまうこと。
母親が傷つき、その状態を子供が知る。
これもまた、子供が「可哀想」な状態と言えるだろう。
しかし、これも不倫に限らないと思わないか?
子供が「可哀想」なのは、母親が笑顔じゃなく、精神が安定していない状態の家庭のことである。
母親の精神が荒んでしまう原因は、それはそれは様々である。
嫁姑問題?介護?子供の成績?お受験?ご近所問題?ママ友同士のマウント?イジメ?家計?借金?夫がリストラ?病気?宗教?マルチ?
何が起こったとしても、母親の精神状態が常に一定で、穏やかで、笑顔。
子供にとって必要なことはこれが全て。
これさえ保てれば、そしてこれが保たれないのであれば、内容が不倫なのかそれとも何か違う理由なのか、それは関係ないのではないか。
余談だが、例えば芸能人が、上記に挙げたような様々な問題によって事件を起こしたり、他人に被害を及ぼすなどして"家庭が崩壊"したら、世間がそれを騒ぎたてるのは一応まだわかる。
大抵は、何か結果(事件とか問題とか)が生じた時に、それは嫁姑問題のせいだった、とか、マルチにハマったせいだった、とか原因が明るみになるものだ。
しかし、不倫だけは「不倫と崩壊をセット」にして報道するのだから不愉快だ。
家庭が崩壊した結果に対して、原因を不倫だと突き止めるのではなく、
まず不倫を報じることで、円満だったはずの家庭の内部を暴露し、むしろ崩壊へ導いていく。
妻は夫の不倫に気付いていたかもしれない。でも、自分なりの尺度で受け入れて家庭を切り盛りしていたのかもしれない。
それか一生そんなこと知らずに済んで過ごせていたかもしれない。
他人にはわからない、ヨソの家庭内の問題、暗黙のルール、その存在を無視して不倫と崩壊をセットで報じるワイドショーは、その家庭の未来に対する一切の責任も持たない。
母親の精神的安定や笑顔が奪われた家庭、そこに存在する子供のことを、本当の意味で心配し考えてあげられる人はどれだけいるのだろう。
私の父は、まさに私の母から、笑顔と安定した精神を奪った。
私は多感な子供時代を、母親からの強いストレスにさらされ続け過ごすこととなり、後の私の人格形成にかなりの影響を与えられた。
父は不倫相手の女性と、その後再婚し現在に至る。私の母との結婚生活より、その女性との結婚生活の方がもう長くなってしまった。
父は23歳で結婚したのだ。
生涯の伴侶を23歳で見つけ出せる人間なんてそうそういないと思う。だから、後からもっと自分にとってそばに居たいと思える女性ができたとしても、別にそれに関しては責める気は起こらない。
私だってもし運命だと思えるような相手と出会ったら、もう1度チャンスが欲しいと思うだろう。
だから、責めるべきは不倫そのものではないと私は思っている。
母にバレることなく、母を最大限に傷つけることなく、丁寧に、慎重に、事を進めなかった、そのことに関して父は愚かだったのだ。
と同時に、母は例え夫婦間において被害者であっても、子供である私を同じ被害者にすべきではなかった。そこに関しては母のことも私は責めざるを得ない。どんなに母が辛くてしんどかったとしても、子供の前では平常心を演じるべきだったと思う。(まぁ実際酷だよな、そこまで望むのは)
なので私が「不倫すると子供が可哀想という一般論」について言いたいことは、子供が可哀想かどうかは、不倫だって、DVだって、貧乏だって、又はそれらに何も当てはまらなくたって、"家庭内の空気が安定していて笑顔があって、子供にとって家が心から安心できる場所"じゃない限り全て可哀想なのだ。ということ。
大事なのは事象ではなく、それらが引き起こしている状態である。
状態が、子供にとってベストなら、事象なんてどうでも良いと思う。
子供にとって幸せな状態を最大限努力して保ち、いらない事象は墓まで持っていけば良いことだ。
思い返してみれば、私が何よりも傷付いたのは「あなたは父親に捨てられたんだよ」という言葉。
父は、悪く言えば母のことを捨てたのだろう。
でも私のことは捨てていない。
そう思わせるのが、両親、そして世間全ての義務だ。
…そう、その義務を果たされなかった点において、私こそがまさに「可哀想な子供」だったのだ。
8歳の私は、あらゆる大人に声を大にして言いたい。
「自分は可哀想な子供だ」と、子供に思わせることが最大の罪であると。
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