見出し画像

”噂”という魔物。


中学、高校、大学の時分に限らず、いくつになっても噂というものはつき纏うし、噂好きの人というのも集団に必ず一人は存在する。

私自身、中・高・大の学生時代を通して、様々なことを噂されてきた。
入学式初日、一言も交わしたことのない相手に「あいつとは絶対気合わん。性格悪そう!」と言わていたことを3年越しに知ったり。(※のちに君のことを誤解していたよと言われ和解)
同級生の「ぴぴこが○○先輩のこと、しねって言ってましたよ。」という虚言により、一定期間その先輩や周りから無視されたり。
全く知らないほかの学部の一部の女の子に「ぴぴこ、○○(元カレ)に貢がせるだけ貢がせて振ったらしい。」などと言われたこともあった。もちろん全て事実無根であったが、そんな根も葉もない噂を真に受けちゃんと傷つけられてきた。

その度に内省、自己啓発を繰り返し、その場で「ちょうどいい」人になるための在り方を模索した。
自分の「原型」とか自分の「本統」とかはいつの間にかどこかへ消え去って、疑い深く、秘密主義で計算高い人間になってしまった。

ただそんな中で素敵で大切な友人達にも出会った。一番近くでお互いを見て、一番深いところで共鳴しあった友達。俗にいう”身内”の存在のおかげで、自分の精神世界を守っていきてこられたと思う。

そして年を重ねるごとに思う。
他の誰にもわかってもらわなくていい
大切な人たち同士で分かりあえてればいい、と。

互いの不幸が悔しくて、互いの幸せがうれしくて、4人抱き合って泣いた日のこと
「生活」というものを崩してでも守るべきモノのために、がむしゃらに働いた私たちの日々のこと
「好きな人と一緒に瓶ビール一飲みたかったんだよな」って話をしてくれたあの日の長電話
これまで見た中で一番綺麗だった桜

それらがあって今日の自分が在ること、自分で在ること
こうしてつながっていること

なんて誰にも分かってもらわなくていいし、教えない。

私たちだけの世界をこれからも守っていく。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?