砂漠の放浪者は魂を求める
始めに
小説のタイトルのようなタイトルではあるが、これはそういう意図で付けたものではない。これは、Youtubeのコンテンツ視聴者、とりわけVtuberの視聴者のコミュニティから生まれた言葉から付けたものである。
具体的には以下の言葉だ。
・お水助かる
・くしゃみ助かる
これらの言葉は主に動画に対してコメントという形で書き込まれる。ちなみに、この言葉を額面通り受け取ってはならない。この言葉を書き込んだ彼らは砂漠で遭難し散々彷徨った挙句、オアシスにたどり着いて念願の水を手に入れた人ではない。そして、くしゃみにまつわる迷信に囚われた悪魔でもない。
「お水助かる」「くしゃみ助かる」とは?
実際に起こる事象の側面から説明すると、「お水助かる」は、Vtuberが水を飲むことに対して、視聴者が感謝を述べる言葉であり、「くしゃみ助かる」はVtuberがくしゃみをすることに対して、視聴者が感謝を述べる言葉である。
……こうして言葉に書き起こすとまるで意味が分からない。
ここでこの言葉を理解するためには、高度な観察眼と飛躍した推察が求められる。あるいは、Vtuber文化にある程度触れれば自然と理解できるようになる。肝要は心理的な側面である。
「至極複雑で奇怪な行為はごく単純な心理的側面から容認される」という訳だ。
Vtuberという存在は非常に不安定だ。Vtuberという存在は画面の向こうで確かな実像と時間軸を伴って確かに存在している。何故これを不安定と表現するかと言えば、常に存在している訳ではなく、空白があるからである。空白とは視聴者がVtuberを観測できない時間であり、つまり動画が配信されていない時間である。加えて、Vtuberというものは人の手助け無しに存在できないものである。意識的寿命と生物的寿命を持つ人が関わる以上、Vtuberにも活動期限が存在する訳であって、これも不安定である理由のひとつだ。
さて、このように不安定な存在に対して好意を持ち、存在し続けることを願う視聴者は、その存在を強く感じる瞬間。つまり、自分の身近に感じる瞬間に安心を覚えるのだ。いわゆる生活感や人間らしさが垣間見えた瞬間、視聴者の心は救われる訳だ。助かる訳だ。
最後に
リアルな人間の表層から脱したVtuberに求められるのが、わずかに垣間見える身近で確かな人間性というのは非常に興味深いことではないだろうか。
今回解釈を述べた二つの言葉以外にも、様々な語彙が生まれては消えてゆく。興味があれば調べてみるのも面白いだろう。
補足
この記事を書き終えるくらいのタイミングで調べたら、似た考察が既に上がっていた。なんならこっちの方が解像度が高い……。リンクを貼っておくので、是非一読すると良い。特に、3ページ目の「失敗に対する応援の文化」という解釈が秀逸である。