賃貸派の終の棲家
結婚して、子どもを育て、マイホームを持って、やっと一人前―――。
だとしたら、私は50代だが、死ぬまで一人前にはなれない。
だって、私は賃貸派だから。
自分のものになる
マイホーム派VS賃貸派、どちらが得かは永遠のテーマだが、
冷静な比較をすると、どちらでも費用は大きく変わらない、のが通説のようだ。
だが、マイホーム派の言い分は強い。
「家賃を払い続けるのはもったいないよ。
同じくらいのお金で、家が買える。自分のものになるんだよ」
何度言われたことか。
でも、「自分のもの」になることが、どれほどのメリットなのだろう。私には理解不能だ。
私は、現在の家に引っ越してくる前、戸建を借りていた、いわゆる借家。転居通知を受け取った知人から、「家を買ったの?」と聞かれた。一人や二人ではない。皆さんの期待に反して申し訳ないが、立派な借家だ。バブル期に建てたという借家は、結構ゴージャスだった。
その後、夫が単身赴任になった。庭があり、家庭菜園を楽しんだお気に入りの家だったが、三人で住むには広すぎた。お金持ちなら、「大は小を兼ねる」選択もあるかもしれないが、一般庶民である私たちは、住む人数に合わせて少し手狭なところに転居することにした。
それが今暮らす3LDKの賃貸マンションだ。悪くはない。キッチンは使い勝手がよく、猫も落ち着いている。1階だが、日差しが差し込んでとても明るい。もう少し広いお風呂が欲しいが、すべての条件を満たす物件はないと覚悟している。
しかし、息子が独立した。夫はたまに帰ってくるが、普段は娘と2人。だったら引っ越そうということになったのだ。
そして、次の家は戸建にした。「たった二人」だが、
私は、雑草がはえる土がないと息苦しいのだ。
賃貸派の老後
これから引っ越す戸建には、しばらく住むつもりだが、終の棲家ではない。
とすると、これからどうしようか。高齢者に貸してくれる住宅は少ないというが、家余りの時代、今よりは賃貸事情も改善していくと楽観視している。
夫が単身赴任から戻ってきても、娘が独立しても、しばらくは動かない。次の転機は夫の定年だろう。そうなったら、家計を引き締める必要があるから、もう少し東京から離れることにしよう。そうしたら、家賃を抑えながら、古くても快適な戸建に住めるだろう。
そして、終の棲家は有料老人ホームだ。賃貸なら、処分すべきものは家財だけ。死ぬまで身軽に生きていける。そのために、お金を貯めよう。
子どもに何かを残すつもりはない。自分の人生はゼロから築いてほしい。
私たちもそうやって生きてきた。
住む人数に合わせて、その時の気分によって、自分の好きなところに住んできた。これからもそうしていく。
マイホームは「自分のもの」だが、その分、身軽ではいられない。
きっと私は所有欲より、自由気ままが欲しいのだ。
やはり大人とは言えないな。