最後の日へ
両親が42歳の時の子どもで、兄が重めの持病持ちで、小学生の時に2人でよく遊んでいた子が交通事故で後遺症を負って。
そんな背景が影響してか、最後の日をよく意識する私がいる。
鬱々としてなにもできないような日は、空想上で命日を迎えて、「今ほんとに死んでいる自分なら何を悔いるかな」って問うてみたりする。
コーチングでは「退職時のすがた」を思い描いてみたり。
離島でお世話になったおばあさんとのお別れの時は、「もう一生会えないかも」と頭をよぎった。
フィクションのクライマックスは放送時間が大体わかるけれど、人生の終わりはいつ訪れるかわからない。
わからないけど刻一刻と、静かに、確かに迫っている。
いつが最後か思い出せないくらいあっけなく最後の会話を終える関係もきっとたくさんある。
「あれが最後だった」と覚えていられることの方が稀有だろう。
最初で最後の会話しか交わさない関係もきっとたくさんある。
時間も、出会いも、有限で。
「だから先を急ぐ」のではなくて、今を大切に、その時、その一度を大切に紡ぐ。
振り返って広がるのは、どんな手ざわりで、どんな色合いで、どんな匂いの人生か。
気づきながら織り重ねていきたい。
風呂に浸かりながらほぼ日の中島みゆきさん記事を読み、記事につられて「ファイト!」を歌ってみたら初見並みの新鮮さで触れた歌詞の力にぐずぐずに泣かされ、あと6時間25分残しつつもハイライトはこれだと確信している、そんな今日。
書き出したto doが全部やりたいことだった時の満ち足りた感覚、たまらん。
行くぜ、今日も、明日も。
↑ここまで書いて、自分のお気に入りフォルダの中から「ヘッダ画像これかな?」って選んだ写真の日付が4年前の明日やった偶然、気持ちええわー。
時刻が22:40やから当日撮ったわけとちゃうんかもやけど、素敵やん?(って思える自分、好きだわー。)
いつ撮ったかわかったら追記するかもしれんし、しないかもしれまへん。
中島みゆき先生の凝るとこ抜くとこのバランス、見習わしてもらいまひょ。
ほな、今日はこの辺で。