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わかり合えなくていい:演じることで超える人間関係の壁



はじめに


人間は本来、「演じる生き物」です。この一見単純な事実は、私たちの教育のあり方、社会生活、そして人間関係の本質に対する理解を根本から変える可能性を秘めています。本稿では、この「演じる生き物」としての人間の本質を出発点として、現代日本社会が直面する課題、教育の未来、そして相互理解の新たな可能性について探究します。


1. 人間:生まれながらの役者


演じることは人間の本質



人類の進化の過程において、様々な状況に適応し、異なる役割を演じる能力は生存に不可欠でした。人間は社会的動物として、状況に応じて適切な振る舞いを「演じる」ことで、集団の中で生き抜いてきました。これは平野啓一郎さんの言うような「分人」の考え方に近いのではないかと思います。この能力は、単なる生存戦略を超えて、文化の創造と伝承を可能にし、人類の発展の礎となったのではないかとすら思えます。

子どもの遊びに見る演じる本能



子どもの遊びを観察すると、人間が生まれながらにして「演じる生き物」であることがよくわかります。幼い頃から自然に行うごっこ遊びは、様々な役割を演じる練習の場です。この過程で、子どもたちは想像力と創造性を養い、同時に社会のルールや人間関係を学んでいきます。


2. 日本社会の変容と課題


価値観の多様化



日本は今、大きな転換期を迎えています。明治以降100年間、日本には明確な国家目標があり、それに従えば多くの人が幸せになれる社会を目指してきました。しかし、この20年で私たちは痛いほど現実を思い知らされました。経済の停滞だけでなく、様々な社会システムの劣化を通じて、日本人が学んだのは、政府も自治体も企業も学校も、必ずしも私たちを守ってくれないという事実です。

この状況下で、日本人の価値観は急速に多様化しています。生き方やライフスタイルも様々になっていく中で、かつての「猛烈社員」のような画一的な生き方は過去のものとなりつつあります。これは日本だけの現象ではなく、成熟社会へと移行する過程で起こる普遍的な変化です。

コミュニケーションのダブルバインド



日本社会には、組織内の水平方向にも、教育システム全体の垂直方向にも、コミュニケーションのダブルバインド(二重拘束)が広がっています。これは苦しいことですが、日本人が宿命的に背負わなければならないものかもしれません。このダブルバインドは、単純に悪いことだとは言えません。それは苦しいことですが、その克服は日本人が宿命的に背負わなければならない課題であり、同時に成長の機会でもあるのです。


3. 「本当の自分」の幻想を超えて


「本当の自分」探しの限界



長年、日本の教育や社会は「本当の自分を見つけなさい」「自分らしく生きなさい」といったメッセージを子どもたちに送ってきました。しかし、この「本当の自分」という概念は、実は危険な幻想かもしれません。

人間は常に変化し、状況に応じて異なる側面を見せる存在です。固定的な「本当の自分」を想定することは、この可塑性を否定することになります。さらに、「本当の自分」を追求することは、人間が本来的に社会的文脈の中で生きる存在であることを軽視しています。変化する環境の中で常に「本当の自分」を保とうとすることは、むしろストレスの原因となるのです。

さらに言えば、本当の自分だと思っているもの同士が、固定的な一面的な自己イメージにとらわれている結果、相手を異質な存在と捉えて、受け入れられず、対立してしまう側面があるのではないでしょうか。

流動的自己の受容



「演じる生き物」としての自己を受け入れることで、より柔軟で創造的な生き方が可能になります。様々な役割を演じられることで、多様な状況に適応する力が身につきます。固定的な「自分らしさ」にとらわれず、新しい自己表現の可能性を探ることができます。そして、状況に応じて適切に役割を演じることで、社会的ストレスを軽減できるのではないでしょうか?


4. 教育における「演じる」ことの重要性


現在の教育の課題



OECDの学力調査で日本の子どもたちの成績が低下したことが話題になりましたが、この結果の解釈には注意が必要です。日本の教育には確かに課題がありますが、それは単純な学力の問題ではありません。むしろ、複数の回答がある問題や、自由な発想を求める問題に対応できない点が指摘されています。つまり、子供たちは既存の固定した枠の外に出ることが難しい状況にあるのではないかと推察されます。すなわち、様々な立場に立ってみて、様々な観点から物事を高く的に見る能力が著しく抑圧されているのではないかと思うのです。

演劇教育の再評価



教育の場で「演じる」ことの重要性を認識し、積極的に取り入れることで、子どもたちの潜在能力を最大限に引き出すことができます。演劇教育は、様々な役割を演じることで多様な視点や価値観を体験的に学べる機会を提供します。また、言語的・非言語的コミュニケーションスキルが総合的に磨かれ、創造性と問題解決能力が養われます。平田オリザさんによれば、通常は長い年月をかけて立場や価値観の違ったもの同士がコンテクストの違いをすり寄せていくわけですが、演劇は短期間の間にお互いの壁を越えて共通のイメージを持つことを可能にさせる力があるわけです。

日常の学習への応用



演じることの重要性は、演劇の授業だけでなく、日常の学習にも応用できます。例えば、歴史の授業で歴史上の人物を演じる、科学の授業で自然現象をボディランゲージで表現するなど、様々な可能性があります。また、プレゼンテーションスキルの向上や異文化理解の促進にも、「演じる」という行為は大きく貢献します。で、自分のカラーを突き破って、全く異なった価値観や生き方や感情などを体験することができるわけです。


5. 社会生活における「演じる」ことの意義


多様性の中での協調



「演じる生き物」としての自覚は、社会生活をより豊かで調和のとれたものにします。異なる立場や役割を相互に演じることで、社会の多様な側面への理解が深まります。他者の立場を演じることで、自然と共感力が養われ、創造的な問題解決の可能性が高まります。

社会的スキルの向上



様々な社会的状況を「舞台」として捉え、適切な「演技」を選択する能力が磨かれることで、状況読解力が向上します。状況に応じて自己表現の方法を変えることで、より効果的なコミュニケーションが可能になります。さらに、困難な状況を「演じる」ことで、客観的な視点を保ち、ストレスをコントロールしやすくなります。


6. 幻想を超えて:演じることによる相互理解


二つの幻想を脇に置く



「本当の自分がいる」と「人は本来わかり合える」という二つの幻想を認識し、それらを脇に置くことが重要です。むしろわかり合えないと言う前提からスタートして、何がお互いにできるかという方向へ話を持ってくることがより現実的ではないかと思うのです。完全な理解は不可能でも、理解しようとする過程でお互いに何ができるかを見出していくことに価値があるのではないかと感じます。

演じることによる壁の突破



他者の役割を演じることで、その人の視点や感情を直接体験できます。自分とは異なる背景を持つ人物を演じることで、無意識の偏見に気づき、解消する機会が得られます。様々な役割を演じる中で、人間共通の感情や欲求に気づくことができ、自然と他者への共感力が養われます。

相互理解への新たなアプローチ



完全に理解し合えないことを認めた上で、協力する方法を探ります。異なる視点や価値観を、対立ではなく豊かさの源泉として捉えます。予期せぬ状況や意見の違いに対して、柔軟に対応する能力が養われ、異なる役割や視点を組み合わせることで、革新的なアイデアが生まれやすくなります。


7. 実践:幻想を超えた「演じる」ことによる相互理解の深化


幻想を脇に置く実践



「本当の自分」の幻想から解放されるために、様々な状況下での自分の異なる側面を書き出し、多面的な自己を視覚化する自己認識エクササイズを行います。また、「わかり合える」幻想を超えるために、他者や社会について理解できないと感じる点をリストアップし、その「わからなさ」を受け入れる練習をします。

「演じる」ことを通じた相互理解の実践



職場や学校で、異なる立場の人々が互いの役割を演じるワークショップを定期的に開催します。異なる文化背景を持つ人々が協力して、互いの文化を表現する演劇作品を作り上げる多文化理解のための演劇プロジェクトも効果的です。複雑な社会問題に関わる様々な立場の人々の役割を演じるワークショップを通じて、問題の多面性への理解を深め、創造的な解決策を探ります。

教育現場での実践



「演じる」カリキュラムを導入し、歴史、文学、社会科などの授業で役割演技を積極的に取り入れます。また、グループでの問題解決プロジェクトに演劇的要素を取り入れ、メンバー間の相互理解と創造的思考を促進します。

ビジネス環境での実践



顧客理解のための役割演技や、組織内コミュニケーション改善のためのワークショップを実施します。これらの実践を通じて、ビジネスにおける多角的な視点の養成と深い顧客理解を促進します。


結論:演じることで開かれる新たな可能性


人間が本来「演じる生き物」であることを認識し、「本当の自分」と「わかり合える」という二つの幻想を脇に置くことで、私たちは人間関係と社会のあり方に関する新たな地平を切り開くことができます。

様々な役割を演じることは、単なる表面的な適応ではありません。それは、他者の立場に立ち、異なる視点を体験し、自己の可能性を拡張する深い学びの過程です。この過程を通じて、私たちは自己と他者、そして社会全体についての理解を深めていくことができるのです。

完全な相互理解は不可能かもしれません。しかし、「演じる」という人間の本質的な能力を最大限に活かすことで、私たちは理解し合えない部分を認めつつも、より深い共感と協力を実現する道を見出すことができるでしょう。

教育、ビジネス、地域社会、国際関係など、あらゆる場面で「演じる」ことの価値を再認識し、積極的に取り入れていくこと。それが、多様性と複雑性を増す現代社会において、真の意味での相互理解と協調を実現する鍵となるのです。

「演じる生き物」としての人間の本質を受け入れ、その可能性を最大限に活かすこと。それは、固定観念や偏見を超え、より豊かで調和のとれた社会を創造するための、新たな出発点となるでしょう。この approach を通じて、私たちは「わかり合えない」ことを恐れるのではなく、むしろその「わからなさ」を創造的な対話と協力の出発点として活用できるようになるのです。





【参考文献】
平田オリザ「わかりあえないことから」(講談社現代新書)

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