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OLDIES GOODIES #114_ピアニスト 反田恭平さんゲスト回

ミュージックフリークマガジンいち押しラジオ番組♪♪♪ フォークシンガー・ばんばひろふみ氏と、音楽プロデューサー・長戸大幸氏が圧倒的な音楽知識と豊富な経験で、1950~70年代の洋楽を中心に多くのアーティストがカバーする大ヒット曲や、ここでしか聴けない激レア音源等を紹介してくれる「OLDIES GOODIES」をご紹介!

ばんばん&大幸の「オールディーズ・グッディーズ」第114回(2022.12.3放送回)はゲスト回。お迎えしたのは、2021年 第18回ショパン国際ピアノコンクールで、日本では半世紀ぶりの第2位を受賞されたピアニスト、音楽家の反田恭平さん。
2016年の初リサイタル以降、日本で “最もチケットの取れないピアニスト”と謳われ、不動の人気を誇る反田さんは、現在ワルシャワのF・ショパン国立音楽大学に在籍しながら、ウィーンで指揮を学ぶ、世界的ピアニストにして指揮者、プロデューサー、経営者としての顔を持つ、若き注目の人物。

通常オールディーズを紹介するこの番組だが、今週は反田さんリクエストのクラシックを聴きながらのException回。
音楽ジャンルも世代も違うばんばんと大幸だが、反田さんのプロデューサー的思考に多々共感と感嘆する場面も。音楽やコンクールの話は勿論、今年出版され話題の自伝本「終止符のない人生」にも書かれていない貴重なトークも!  オンエアを聞き逃した方、必読です!!

書籍「終止符のない人生」(幻冬社)

反田恭平(Kyohei Sorita) Profile

2012年に18歳で日本音楽コンクールで1位に輝く。
2014年 チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院を経て、F.ショパン国立音楽大学(旧ワルシャワ音楽院)研究科に在籍。現在は、同大学に在籍しながら、オーストリア・ウィーンで指揮を学ぶ。

2015年に「リスト」でメジャーCDデビュー。
2016年サントリーホールで開催したデビューリサイタル以降、毎年定期的にリサイタルやオーケストラとのツアーを全国で開催。

2018年(23歳)からは自身のマネジメント会社を設立。
2019年には、イープラスとの共同事業として、レーベル「NOVA Record」をスタート。若手音楽家とファンをつなぐオンラインサロン「Solistiade」を主宰し、コロナ禍の2020年4月、いち早くオンラインコンサートを開催するなど、クラシック界初となる試みに次々と挑戦。
2021年5月には「ジャパン・ナショナル・オーケストラ」(JNO)を株式会社として設立、「奈良」を拠点に世界に向けて活動を開始。

そして、2021年10月、第18回ショパン国際ピアノコンクールで、日本では半世紀ぶりの第2位を受賞。

世界的ピアニストにして、指揮者、プロデューサー、経営者として幅広く活躍。今年夏には、自身初の著書「終止符のない人生」(幻冬舎)が発売となった。

■OFFICIAL WEBSITE https://kyoheisorita.com/
■ジャパン・ナショナル・オーケストラ(JNO) https://www.jno.co.jp/ja
■株式会社NEXUS https://www.nexus.jpn.com/artist/
■NOVA Record https://www.novarecord.jp/
■オンラインサロン「Solistiade」 https://solistiade.jp/

Opening Music:10番街の殺人 / The Ventures

ばんばん:今週も始まりました「オールディーズ・グッディーズ」、ばんばひろふみです。

大幸:長戸大幸です。

ばんばん:今日はすごいゲストに来て頂きまして。2021年の第18回ショパン国際ピアノコンクールで、なんと51年ぶりに日本人として2位に!!  すごい成績を収められた反田恭平さん。来て頂きました。

反田:よろしくお願いします、反田です。

ばんばん:今29歳?

反田:まだ8ですね。今年28になりました。

ばんばん:ショパンコンクールで2位になって一躍メジャーになりましたけれども、どうですか? その年齢でそこまで極めたっていうのは?

反田:そうですね。元々僕はコンクールという型にハマった演奏をするような人間ではないので、なかなかコンクールは不向きだなって思っていたんですけど。ただそれでも目標としていたステージでもありましたし、ここを越えないとやっぱりもっと世界で活躍出来ないっていうのは分かっていたので、正直色々背負っているものはあったんですけど、心の葛藤も色々交えながら、無事終えられて世界が変わったのがすごく印象的でしたね。

ばんばん:なるほど。実は僕も大幸さんも昔バイオリンをやってまして、で、挫折して(笑)

大幸:私は中学で。

反田:お二人共だったんですね。

ばんばん:自伝本『終止符のない人生』を読ませて頂いたら、反田さんは元々サッカーの選手に行きたかったんですよね?

反田:そうですね。それこそもうW杯に出たかった人間ですし、で、本に書いてなかったかと思うのですが、実はサッカーと同時くらいに三ヶ月弱くらいだけバイオリンを始めたんですよね、僕もやってたんですよ。

ばんばん:あっそうだったんですか!

反田:僕はバイオリン挫折組で……''挫折トリオ''です!

ばんばん&大幸:(爆笑)

反田:僕なんか先生に直接言われたのが、「君みたいな落ち着きのない子はバイオリニストになれない!!」って言われまして。それが2歳の時ですね。2歳で何が判断出来るんだっていう風に思いましたけど。ただその時に母がすごく悲しい顔をしていたのが印象的で、「じゃあまあ、ピアノくらい母のためにやってあげようかな」って思ったのが4歳くらいの時だったんですよ。
でも、それよりもみんなと一つのゴールに向かって走っていくサッカーという競技が本当に僕にとっては新鮮でした。一方でピアノっていうのは完全に個人プレイだったので、なかなか葛藤はありましたよね。それこそ練習していてもみんなが遊んでいる中で僕はやらなきゃいけなかったですし。まあサッカー場に行けばみんなグラウンドで待ってるから、お母さんには「もう僕はサッカー選手になる!」と言って、なかなかピアノは練習しなかった幼少期でした。

ばんばん:自伝本に書かれていましたが、怪我をしてサッカーを断念したと。

反田:そうですね。11歳の時に、僕はフォワード、ミッドフィルダーだったので点を取りに行くポジションだったんですけど、「3−1」になって一人交わして、二人が乗っかって来ちゃって。それで手が折れてしまったんです
。でもその時は痛みを全く感じなかったんですよね。点を奪ることにしか集中していなかったので。それでフリーキック「行きま〜す!」って言ったらもう全身に力が入らなくて。審判が「あれ?折れてねえ?」ってなって、救急車に運ばれたんですけど。

ばんばん:お〜。

反田:そこで接骨をして物凄い痛みを覚えまして。当時、日韓W杯で宮本恒靖さんが鼻にギブスされて、バットマンとか言われてたと思うんですけど。

ばんばん:骨折してね〜。

反田:はい。で、「サッカー選手になりたいんですけど〜」って相談したら、「腕より鼻の方が痛いぞ」って言われまして。「だったら僕はこの職業向いてないな」と。「それじゃあ、痛くない職業何かな?」って考えたら、ピアノが好きだなと思って。ピアノだったら怪我しないかと思って(笑)

ばんばん:ほ〜。でもそれも一つ運命だよね。

反田:そうでしたね。まあ結局ピアノでも怪我したんですけどね。グランドピアノの屋根ってあるじゃないですか。あれに指を挟んでしまって、爪とかバッキバキに折れて、血だらけになったこともあったり。

ばんばん:え~!

反田:でも結局最終的な決断として、腕を骨折した時もピアノが弾けなくなったわけですよね。その時、サッカーが出来ないという悲しみもありましたが、ピアノが弾けないっていう悲しみもあって、その独特な感情を覚えたのもその瞬間で、だとしたら僕はもしかしたらピアノが好きなのかもしれないと思って、そこで初めて気づけたんですよね。

ばんばん:ほう〜。あとその本の中で、怪我でスパンっていうんですか、親指から小指の間の長さが広くなったというのは?

反田:あ〜、それはまた違う骨折ですね。

大幸:(笑)

反田:珍しく両手骨折してるピアニストなんですけど(笑)。それは左手の方で、ドアに挟んで小指が粉々になっちゃったんですよね。で、手術したんですけど、結局その時に腱が切れていたので、薬指と小指の腱ですけど。なのでリハビリして、気づいたら届かない音が届くようになってたっていう。

ばんばん:怪我の功名。

反田:本当にそうなんですよ。なので今になったらラッキーだったなって思います。

ばんばん:そうですね(笑)。ところで、大幸さんと反田さんってどういうご関係なんですか?

大幸:いやいやもう〜、私は前からお会いしたかったので、実現出来て良かったんですけれどもね。

反田:ありがとうございます。

ばんばん:僕YouTubeでね、ショパンコンクールの時の演奏を拝見させて頂き、聴かせて頂きましたけれども、神業ですね。

反田:いえいえ、ありがとうございます。

ばんばん:すごいですね。正直僕ね、鳥肌立ちました。あんなんもう譜面見ながら弾けないでしょ、当然。全部頭ん中に入ってるんですか?

反田:ピアノなんかは特にルールがありまして、コンクールの公式ルールに「全部暗譜で」とか書いてありますので、もちろん覚えなければいけないんですけど、なんならピアノ以外はみんな楽譜見てたりしますけどね。ずるいと思いますけどね。

ばんばん:(笑)。ということで、今日は曲も聴きながら色々話を伺って行きますんで、よろしくお願いします。

反田:はい。よろしくお願いします。

ばんばん:普通コレ僕らのリクエストはオールディーズがかかるんですけど、今回はクラシック系ということで。

大幸:はい。

ばんばん:反田さんが選んでくれた、まず何行きましょうか?

反田:最初にお送りしたいのは、僕が初めて、2回目くらいかな?  7歳くらいの時に発表会に出て、同じ門下生の同級生の女の子が弾いてた「エチュード・アレグロ」(※注釈1)という作品なんですけど。
これは日本人の中田喜直さんという作曲家が作られて、7歳が弾くにはちょっと面白い曲というか、技巧的な瞬間もあったりして。一方で僕はちょっとゆったりした曲を弾いていたので、「同い年なのにかっこいいな〜、すげえな〜」って、小さい頃に憧れていた曲ですね。

ばんばん:はい。では行きましょう。「エチュード・アレグロ」

TR-1 エチュード・アレグロ

(※注釈1)エチュード・アレグロ
「ちいさい秋見つけた」や「めだかの学校」他、日本の「和」のテイストを取り入れた沢山の作品を世に残した、中田由直作曲の人気曲。ピアノの発表会の定番としても有名。

反田:僕も20年ぶりくらいに聴きましたね。

ばんばん:あっ、これ(笑)。改めて聴いてどうですか?

反田:いや、今となってはそりゃいつでも弾ける曲ですけど、あの時はそんなに技術もなかったですし、趣味でやっていたので、友達が弾いているのを舞台袖で見ていて「がんばれ〜」とか言いながら応援していましたが・・・、「弾きたかったな〜」っていうちょっと昔の気持ちを思い出しましたね。

ばんばん:あの〜それでね。すごいなと思ったのが、自分では分からなかったけども、人よりもパーンと音が出たらその音が全部分かったって。それは絶対音感?

反田:そうですね。元々僕はピアノというかキーボードを触り始めたのがヤマハの体験入学で、エレクトーンが最初だったんですよね。で、先生がドレミとか弾いて音あてクイズとかやってたんですけど。その時は(手で目隠ししながら)指と指の間に隙間を作って、先生がなんの鍵盤を弾いているか薄目で見てたような学生で。ちょっとドヤ顔混じりで、「ド」とか「ミ」とか答えていたら、「この子は天才だ」と。先生が勘違いしてしまいまして。

ばんばん:はっはっは(笑)

反田:
それで転勤族だったので、その後東京に行ったんですけど、そこで絶対音感を鍛えるミュージックスクールに入りまして。
そこでは本業としてはオペレッタだったり、ミュージカルだったり、そっちに力を入れていたんですね。だから副科でピアノを習い始めたって感じなんですけど。その絶対音感を鍛えるミュージックスクールはマンモス校だったんですよ。3,000〜4,000人居るような学校で。そこで一応、「ナンバー2」みたいな肩書きはもらっていましたね。
例えば両手では収まりきらない11音を適当に、♪ジャ〜ンって鍵盤押しても、下から全部パパパパパって当てられるような小学生でした。

大幸:すごいね(笑)

反田:もちろん最初から出来たわけじゃなくて、トレーニングして3つ目、4つ目、7個目、10個目っていうように増やしていった感じでしたけど。

ばんばん:でもこれって誰でもトレーニングしたら11音まで行けるわけではないですよね?

反田:あ〜、それはないと思いますね。

ばんばん:だから、ある才能ですよね。

反田:耳は良かったんですよね。なので当時やっていて良かったなと思いますし、今となっては指揮活動もしていて、色んな編成の作品になっても色んな楽器の音を瞬時に判別出来たり、同時に30人位が演奏していても全ての音が聴き分けられるようにはなりましたね。

ばんばん:すごいですね。

反田:なので、今ちょうど指揮の話になりましたけど、オーケストラの作品も大好きです。

ばんばん:好きな指揮者はいるんですか?

反田:ま〜カラヤンは大好きですね。巨匠、伝説ですけれども。もちろん日本で言うなら小澤征爾さん大好きですし、大尊敬してます。小澤さんとは誕生日も一緒なので、勝手に親近感を覚えていたりもしますけど。他も色々いますよ。無名って言ったら失礼かもしれないですけど、なかなか表に出てこないような、本屋さんだったり、レコードショップに行って、たまたま手に取った人が良かったみたいな。ジャケ買いじゃないですけど、そういうのもしたりしています。

ばんばん:それってあのね。どういう基準で指揮を聴くんですか?

反田:ま〜僕はピアノをやっている者なので、やっぱりピアノをやっていて良かったなって思う点に関して言えば、メロディ楽器でもないですし、中声部の旋律楽器でもないですし、全部の和声を弾きながらメロディを弾く楽器を担当しているので、やっぱりオーケストラを聴いて内声をしっかり出していたり、立体感、奥行き、香りを出していく音楽家、指揮者っていうのが好きですね。

ばんばん:分からないですね〜、僕らにはね(笑)

大幸:(笑)

ばんばん:じゃあ続いて曲を紹介してもらいましょうか。

反田:クラシック音楽がもちろん好きでしたが、ピアニストになりたいなって思ったきっかけの一つとして、中学校1年生の時に「題名のない音楽会」という音楽番組がありまして、

ばんばん:黛 敏郎さん。(「題名のない音楽会」初代司会を務めた作曲家)

反田:あ〜そうですね。1966年から放送されている番組ですけど、視聴者参加型の企画で一般応募でお葉書出して、抽選に当たって。その企画は「プロのオーケストラを振ってみよう」っていう企画だったんですけど、12歳の時にベートーベンの7番のシンフォニーの最終楽章を振りましたね。

ばんばん:ほ~。

反田:で、当時僕は12歳っていうと「のだめカンタービレ」が流行っていて、ドラマで流れていて、やっぱり千秋真一だったり、のだめ(野田恵)に憧れている時期だったので、それでこのオープニングにも使われていた「交響曲第7番」っていうのを番組で振らせてもらいましたね。

ばんばん:指揮者っていうのは、反田さんの本を読んでいると、言葉っていうのは各国色々あるじゃないですか。でもそうじゃなくて、ちょっとした仕草とかなんかで全部伝わるって。

反田:そうですね。やっぱり最高の指揮者となれば巨匠クラスですけれども、言葉もいらずに。もはや振りもしなくて。

大幸 & ばんばん:(笑)

反田:存在感というか、あと顔とか眉毛だけで振ったりするんですよね。やっぱりその域まで将来行ってみたいな、そういう景色を見てみたいですよね。
今回お届けしたいのは、このベートーベンの「交響曲第7番」(※注釈2)を振って、本当にピアニストを極めてから指揮者になろうと思えた作品でもあるので、ぜひ皆さん聴いて頂けたらと思います。

TR-2 交響曲第7番イ長調 作品92

ドラマ『のだめカンタービレ 最終楽章 前編&後編』サントラ盤。

(※注釈2)交響曲第7番イ長調 作品92
作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン。

ルートヴィヒ・ベートヴェンが作曲した交響曲は9曲。その7番目の作品。1811年〜1812年にかけて作曲され、多くの音楽家が認める、間違いなくベートーヴェンの代表作として広く支持され、現在でも演奏される機会が多い作品。
全曲を通してベートーヴェンの交響曲の中でも最もリズミカルな作品になっている。特に1楽章は1つのリズムで押し通すという新しい試みがなされており、その他の楽章もそれぞれ特徴のあるリズムが用いられ、それを元に音楽が展開していく。後にリストはこの曲を「リズムの神化」と呼び、ワーグナーは「舞踏の神化」と呼んで絶賛した。

今回オンエアしたのは、「のだめカンタービレ」のドラマ版のメインテーマでもあったバージョン。

ばんばん:大幸さん、聴き惚れておりますが(笑)

大幸:いや〜、なかなかクラシックは難しいですよね、僕らからすると。

ばんばん:ねぇ。ということで、改めましてこの番組は「オールディーズ・グッディーズ」ですからね、間違えないように(笑)。今日はですね、ピアニストの反田恭平さんお迎えして色々お話伺っておりますが。
僕すっごい彼はクレバーだと思うんですね。なんでかっていうと、ショパンコンクールに臨むにあたりどの曲をやるとか作戦を練ってやったという話ですけど。風貌も含めてね。

反田:そうですね。プログラムに関していうならば、自分を活かせるセットリストを作らなければいけなかったので、あえてちょっと難しいトライをしてみたり、過去10年分くらい、2大会の全参加者の演奏曲目リストを探し出して、正の字で何の曲を弾いた人が予選で通りやすかったかとか、4,000曲分くらいですかね、正の字を書いていって。その中で自分が合うものをフィックスして選んでいったりとか、勿論しましたね。
ま〜あと髪の毛もよく「サムライヘア」とか言われてたんですけど。僕の家系がどうやら武家、サムライの家系だったみたいで。

ばんばん:はっは〜。

反田:刀とか紋章とかもお祖父ちゃん家にあったりするんですけど。「ステージに出た時に一発で覚えてもらう為にはなんだろう?」って考えた時に、やっぱり髪型だったり、服装だったりっていうのが一つだったのかなって、先生の助言もあって、そういう形でやりましたね。

大幸:髪型がすごかったですよね。

ばんばん:ね〜、カッコ良かったですよね。それで、例えばね、ロックのギターとか、リードギターの人でガ〜っとエクスタシーの表情とか作るじゃないですか。反田さん見ててもそういう表情、顔で弾いているみたいな所がありますよね。

反田:そうですね。音楽でとても大事な奏法の一つとして、まゆ毛の間、眉間に力を入れるんですよね。そうすると、逆に言うと手とか足とか肩とかの方になるべく力を入れずに、眉間にさえ力を入れれば脱力して弾けたりするので、それはドイツの先生から学びました。

大幸:女性ボーカルでも眉間にシワが入ってるとちょっと恍惚感が出るんですよね。だからすごい高い声出す時にやるとセクシーだったり。
なるほど〜、色んな事考えてやってるんですね。プロデューサー的ですよね。

ばんばん:そうですよね、非常にね。だから今ピアノやってる人がこれ聴いてて、眉間にシワを寄せてグッと力を入れてやったら脱力出来るっていうのは一つの教えですよね。

反田:ま〜、一つの方法ですよね。あくまで手段ですけど、自分に合った奏法だったり、体の使い方をしなければ腱鞘炎になったり、体を壊す理由にもなってしまうので相談しながらかと思いますけど。一つの方法としてお伝えはしたいですね。

大幸:ロックもそうなんだけど、ビジュアルって大事じゃないですか。どう見えるかっていうのが。それがすごく計算されてる気がしますよね。

ばんばん:そうなんですよね。本当にYouTube見ていて、すごく思いました。

反田:コンクールにおいては現地のファンってのを作らないといけないんですよ。やっぱり聴衆を味方にして沢山拍手をもらって、会場を盛り上げるってのもコンクールの一つの方法でもあるので。っていう点においては結構出来た事ではないかなと。

ばんばん:ショパンってポーランドですよね?

反田:はい。生まれが。

ばんばん:会場もポーランドだし、お客さんもポーランド人?

反田:そうですね。

ばんばん:だからそれに合わせて選曲を考えたりもしたんですか?

反田:そうですね。3次予選は、正直いうと審査員も知らないような曲を弾きました。ショパンは数百曲遺していますけど、本当に有名な作品、一般世間でも知られているのはごく僅かで、そんな中でもピアニストが知ってる作品も8割くらい。残りの1割、2割っていうのは、楽譜もどこに出版されているのか分かっていない隠れた作品っていうのもあります。
僕がコンクールで弾いたのは、委員会からも直接言われたんですけど、「反田さんが提出した一曲は、コンクール史上初めて弾かれた曲です」って。むしろプログラムを作る時に「この曲って合ってますか?」って確認されたくらいだったので。
で、その曲のタイトルが「神よ、ポーランドを守り給え」って作品なんですけど。ショパンは20歳までポーランドに移住したんですけど、亡命ですね。で、フランス革命とかあったので、帰りたくても帰れない祖国への想いってのがあって、小さい頃に彼は教会に通っていて賛美歌を歌ったりして、そのイメージ、覚えているメロディを、1分、2分くらいの小品に、合唱曲みたいなのを書いたんですね。コラール(賛美歌)を。それをコンクールで弾くってことは異例中の異例なことで。
審査員はマスターたちなので、全ての曲を知っているわけなんですよ。そこで知らない曲を1曲出すと、ショパン疲れを取るわけなんです。

ばんばん:あっ、ずっと聴き続けてるから。

反田:はい。もうずっとみんな同じ曲を弾き続けているから。「えっ、この曲何? 知らないんだけど」って食い入ってもらう為に取り入れて。その後に、ポーランドでショパンといえば「英雄ポロネーゼ」か「革命のエチュード」が代表的なんですけれども、祖国を思う、戦争を背景にっていうストーリーをつけて、最後は「英雄ポロネーゼ」で立ち向かっていこうぞ!というプログラムを考えました。

大幸:ん〜〜〜(感嘆)

ばんばん:見事それは通じたんですもんね?

反田:通じましたね。で、「神よポーランドを守り給え」っていう曲の前に、実はピアノソナタの「葬送」という葬送行進曲を弾いていまして。まあコロナ禍もありましたし、この「葬送」を弾いて、その後に祈りを入れて、コロナ禍でも立ち向かっていこうよっていうメッセージを考えたんですよね。そしたら、審査員方は20代の僕の考えることなんて全てお見通しなので、全てのプログラムの意図を汲み取ってくださって、結果コンクール終わった最後に審査員の方々に、「非常にクレバーなプログラミングだった、感動した」とおっしゃって頂きました。やって良かったなと思いましたね。

大幸:大変プロデューサー的ですよね。

ばんばん:ですよね。じゃあ続いてまたリクエストをもらいましょうか?

反田:こちらは、ぜひ聴いて頂きたかったデビュー盤のアルバムです。2016年に出したんですけど、リスト作曲の「愛の夢」(※注釈3)という作品です。すごく心地の良い作品なので、馴染みのない方でも聴いて頂けるのではないかなと思います。

TR-3 愛の夢(3つのノクターン第3曲)

『リスト』/ 反田恭平(日本コロムビア/ 2016年)

(※注釈3)愛の夢(3つのノクターン第3曲)
フランツ・リスト作曲の、3曲から構成されるピアノ曲。「3つのノクターン(3つの夜想曲)」とも呼ばれ、特に第3番 変イ長調はリストを代表する作品。元々これらの3曲はソプラノの独唱歌曲として作曲されたが、1850年
、リストが39歳の時にピアノ独奏曲として編曲された。

オンエアしたのは、反田恭平デビュー・アルバム『リスト』より。"ホロヴィッツが恋した楽器"として知られた銘器ニューヨーク・スタインウェイを使用し、精巧なテクニックと表現力をみせつける圧巻の演奏を収録。2015年1月、千葉県南総文化ホールにて録音。

ばんばん:リストなんかもすごい難曲と言われている。

反田:カンパネラとかですよね?

ばんばん:はい。

反田:そうですね。ピアニストっていう職業を確立させたのがリストでしたね。

大幸:ビジュアルも良かったですよね?

反田:ビジュアルも魔術師と言われて、目の前で聴いている女性が
失神するほどイケメンだったみたいですね。

大幸:アイドルだし、シューマンとかも仲良かったんですよね。あの辺の人たちはすごいですよね。

ばんばん:あのね、僕今回お会いするんで色々また自分のCDも聴いていて、ポリーニ(イタリア・ミラノ出身のピアニスト)とか聴いていて、ショパンの10か25。

反田:あ〜ありますね。

ばんばん:でね、一つ僕馬鹿な質問しますけど、ショパンって、彼は作った曲弾けたんですかね?

反田:あ〜ショパン自身がですか?

ばんばん:はい。

反田:弾けてたと思います。勿論。

ばんばん:ってことは、ものすごく上手かったわけですか?

反田:あ〜。ただこれ条件があって、今の現代のグランドピアノとショパンが愛用していたピアノがあまりにもタッチの種類が違うんですよ。まず第一に鍵盤の幅が若干狭い。今の方が大きい。二つ目に鍵盤の重さ、跳ね返り、ハンマーの跳ね返りが昔の方が遅い。今の方が速い。ということは、あまり速く弾けなかったんですよね。かつ、ペダルに関してが三つ目なんですけど。今のピアノはペダルを踏まないと絶対に音が伸びないんですよね。ただ昔のピアノは打鍵するとちょっと残響音が残ってたんですよ。なのであまりペダルがいらなかった。で、音が残るということは速く弾きすぎると濁っちゃうんですよね。

ばんばん:なるほど。

反田:で、ショパンは1849年に亡くなりましたが、僕は1848年のショパンが愛用していたピアノを弾いたことがあるんですけど、速く弾けなかったですね。速く弾いちゃうと汚くなっちゃうので。
なので、これをどう捉えるかなんですよ。コンクールにおいて。現代のグランドピアノで弾くショパンコンクールなのか、それともショパンの背景を汲み取って当時のピアノを再現するような音を出すコンクールにするのかってのも結構悩みポイントでしたね。結局僕が選んだのは半々でした。で、そういう所も出しつつ、やれる所はパッて出しちゃおうとか、色々考えました。
その決断が出来たのは1次予選後で、1次予選の結果の発表でメンバーがどういうピアニストの傾向かっていう、アーティストサイドの傾向ってのを全部のメンバーを見まして。なのでコンクール期間中、他のアーティストの演奏も聴いてましたし、今回のコンクールはこういう方向性だなっていうのを見て、それにあった演奏をしましたね。

大幸:すごいプロデューサー的ですよ。プレイヤーだけではないという。

ばんばん:ですよね。

大幸:計算がすごく入ってるという。

ばんばん:本読んでるとそうすごく思いますね。端々にそういう感じがしますが、今会社もやってらっしゃいますよね?  奈良で?

反田:はい。やってますね。2社やってます。

ばんばん:どういう会社なんですか? 「ジャパン・ナショナル・オーケストラ」(https://www.jno.co.jp/ja)っていう名前がついてますが。

反田:そちらは2021年、昨年、奈良市で登記しました。これはオーケストラの会社です。僕が何故オーケストラを作ろうかというと、簡単に言うと、やっぱり自分の音楽が自由に出来る場所を提供したいっていうか……。やっぱり生きていてどんな職業でもそうですけど、壁が出てきたりして、どういう風に演奏した方がいいのかとか悩む、自分のあり方について悩むアーティストってきっと多いと思うんです。僕が提供出来る場所は、少なくとも僕と演奏する時は、自由で思うようにそのままの個性をむき出しにして演奏して欲しいっていうのは正直あって、それは僕もそういう場所が欲しいですし、弾けるメンバーがいてくれたら音楽が出来る。いい音楽家になりたいので、悪い音楽家にはなりたくないので、そういう場所を作りたいっていうのが一つです。
2つ目に、後世の音楽会に向けてって所ですよね。ソリストでもあるメンバーがオーケストラのメンバーでもあるので、全員がオーケストラ団員ってわけではなくて、バリバリに弾けるアーティストもいるわけなんですよ。で、そういった才能がちらほらいると、隣のプレイヤーが「えっすごいや!」と感化されるわけですよね。お互い刺激し合いながら世界に発信出来る団体っていうのを僕は作りたかったんですよね。

大幸:なるほどね〜。

反田:色々まだ他にもあるんですけど、やっぱりまず一番大事なのは、本当に好きなように、既存のルールに乗らないオーケストラを作りたかったんです。

ばんばん:なんかね、音楽のハマりたくないっていうのは、(大幸さんも)メジャーレコード会社を辞めはったじゃないですか。それで自分で新しいレーベルを作りはった。まぁビートルズとかもみんなそうですよね。そこに非常に近いものがある。

反田:言うならばお二人がいらっしゃる業界の方々だったり、ビートルズだったり、先人がやってきたことを、皆さんの背中を見て僕はただただクラシック界に導入しているだけなんです。例えば、新宿駅の路上とかで弾いてこれからデビューしたいって人は、「CD作りました。買ってください」って自分で制作してるわけじゃないですか。それが要は名刺なわけじゃないですか。でもクラシックのアーティストって自分でCD作らないんですよね。デビューの声がかかるまで、何故かみんなやらないんです。

ばんばん:そうなんや。

反田:何故かやらないんですよ。自分でやった方が印税も入るし、好きなプログラムを入れることも出来るじゃないですか。そういうこともやりたいと思いましたし。で、僕に関しては正直いうと(レコード会社との)契約期間とかもあって、お世話になった期間は色々一緒に働かせて頂きましたし、一方でそれまで音楽のことしかやってこなかったので、一般社会についても知りたいっていう希望もありました。だから、「社会勉強させてください」とご挨拶させて頂き、(レコード会社を)退所させて頂いたという経緯ですね。

大幸:結局僕らは既成概念を打破するためにレコード会社を作ったわけで、規制概念があるとどうしてもある形にハマっちゃうんですよね。で、アーティストもそうなんだけど、みんな既成概念の中にいるもんだから、どうしても軟弱になっていく。冒険も出来ないし。だからそういう形でやっていたんだけど、クラシックも同じようなもんなんですね。

反田:本当にその通りです。クラシックのアーティストはより保守的かもしれないです。それが決して悪いとは僕も思いませんし、そういう風にいきたいアーティストもいるだろうし、そこは無理強いはさせないんですけど。ただ一緒に賛同してくれるアーティストだけ、前を向いて失敗することも恐れずやってくれるメンバーを僕はオーケストラとして募集していますね。

大幸:なんか滋賀県と和歌山県だけ、演奏会をやったことがないらしいですよ。

ばんばん:あっそう。

反田:そうなんですよ。デビュー2016年から3年くらいで45都道府県は行ったんですけど。

ばんばん:なんで、滋賀県嫌いなんですか?

反田:いやいやいや(笑)

大幸:滋賀県はオペラハウスもあるんだけど。

反田:そう、立派なホールあるんですよね〜。

ばんばん:ありますよ〜。

反田:たまたまスケジュール合わなかったり、色々な条件のもとで和歌山と滋賀だけ行けてないんで、いつか行きたいですけどね。

大幸:ぜひやってもらいたいけどね。

ばんばん:滋賀県まず、優先してね(笑)

大幸:(笑)。私が滋賀出身で、彼が滋賀在住なんです。

反田:あ〜そうなんですか、そりゃあ尚更ですよね。

ばんばん:え〜ぜひ二人で観に行かせて頂きたいです。

大幸:ぜひ!

ばんばん:あとね、これも本の中に書いてあったんですけど、譜面を読み取る、ある意味行間を読み取っていくって感じで、ショパンなんかも譜面をまず読んで、作曲者が何を表現したいかを汲み取るって書いてありましたけど、それって楽譜見てそこから推理してって感じですか?

大幸:同じ楽譜でも、演奏者と指揮者によって全然音楽変わるんで、クラシックは特に。

反田:歌詞がないのでね、我々は。だからその解釈は演奏者により委ねられる所はありますし。ポロネーズに関してはポーランドの踊りでしたり、祝典的な時にやられるわけですよね。今でも学校に僕は在籍しているので、卒業式だったりするとトランペットとか大きな金管楽器だったりが♪パパパッパーパーって、こういうリズムでファンファーレが鳴って、民族衣装を着た人たちが優雅に踊るっていうのがポロネーズです。

大幸:まあ僕最初に会う前の印象ってのが、もっと老けた感じがしたんですよ。

反田:(笑)

大幸:会ってあまりにも若いので、大谷翔平とか、羽生結弦とか、

反田:あ〜同い年です。

大幸:孫の世代ですよ。

ばんばん:せやね。頼もしいですね。

大幸:いやいやすごいですよ。

反田:なんならバトミントンの桃田賢斗選手っているじゃないですか、桃田さんとは生年月日まで一緒なんですよ。

大幸&ばんばん:へ〜〜〜。

ばんばん:彼も世界行ってますもんね完璧に。

反田:スポーツ選手の方で足の速い方もいれば、水泳もすごい人もいるし、だから結構同い年としては感化されますよね。

大幸:生年月日だとか、そういうことにも詳しいらしいですよ。

反田:あ〜なんか趣味にもならないですけど、調べたりするの好きなので。

大幸:手相とか。

反田:そういうのも結構気になるタイプですね。

ばんばん:じゃわりと合理的じゃないの?

反田:あっ、まあ良いものだけ聞いてます。

ばんばん:はははっ(爆笑)

大幸:星座は詳しいですか?

反田:いや詳しいわけではないんですけど。

ばんばん:何座ですか?

反田:乙女座のAB型、9月生まれです。なかなかセンシティブです。

大幸:乙女座は研究熱心なんですよ。土の星座だから。

反田:しかも1日生まれなので、「1」っていう数字も結構学級委員みたいな性格を持った人が多い数字ですよね。

ばんばん:ほ〜。物覚えもいいでしょ?

反田:音だけですよね。

ばんばん:でもね、何曲くらい暗譜って言っていいんですかね? 暗譜してるんですか?

反田:何曲ですかね?  分からないですけど、まあコンチェルトが僕は好きなんですよ。今聴いて頂いたようにオーケストラとソリストって形ですけど。コンチェルトくらいだったらもう25曲とか覚えてますね。だから時間で言うと20時間分くらいですかね。

ばんばん:すごいですね(笑)

反田:しかもコンチェルトっていうのはソロだけじゃなくてオーケストラの楽器もある程度覚えないといけないので、タイミングとか、セッションとか……。コンチェルトは好きなので、それは結構自信あります。

ばんばん:僕らすぐ歌詞忘れるのに(笑)

大幸:いやそれは年齢的なものもある(笑)

ばんばん:そうですね。さあ、それではまたリクエストに戻りましょうかね。

反田:はい。これはショパンコンクールが終わってから、今年の1月かな? 凱旋コンサートっていうのをやらせて頂いて、その時に弾いたライブ録音。サントリーホールでのショパン作曲「英雄ポロネーズ」(※注釈4)ですね。

ばんばん:サントリーホールってデビューの時に一回満杯にしてますよね?

反田:そうですね。デビューの時ですね。

ばんばん:また戻って弾いてみてどうでした?

反田:まあ年に2、3回くらい弾かせてもらっているんですけど、凱旋で帰ってくる思いってのはちょっとまた違いましたね。

ばんばん:ええ感じ?

反田:う〜んなんかこう、拍手の種類が違いましたね。この時はこう〜「お疲れ様、おめでとう」みたいな温かい拍手でってのが印象的でした。嬉しかったですね。

ばんばん:その時のライブ演奏?

反田:はい。

ばんばん:では、お聴きください。

TR-4 ポロネーズ 第6番「英雄」変イ長調OP.53

『反田恭平 凱旋コンサート サントリーホールライブ』
オール・ショパン・プログラム(2枚組)

(※注釈4)ポロネーズ 第6番「英雄」変イ長調 OP.53
フレデリック・ショパンが1842年に作曲し、翌年に出版したポロネーズ。ショパン後期の作品。ポロネーズは、フランス語でポーランドの(踊り)という意味。
この作品は「英雄のポロネーズ」の通称で親しまれており、ショパンが作曲したポロネーズの中でも「軍隊ポロネーズ」(第3番イ長調)や「幻想ポロネーズ」(第7番変イ長調)とともに有名であり、人気が高い。

オンエアしたのは、第18回ショパン国際ピアノ・コンクール第2位入賞を記念して、帰国後全国6会場で開催された「反田恭平凱旋コンサート」より、2022年1月6日、7日に行われた東京 サントリーホール公演のライブ音源13曲18トラックを収録した2枚組CDの音源。

ばんばん:あの〜、クラシックのコンサートはなかなか敷居が高いって言ってますよね。そういう人をもっと行きやすく、気楽にクラシックのコンサートに行けるように今やってるって話でしたけど?

反田:そうですね。まず奈良でオーケストラの会社を登記しているので、奈良と東京を繋げたいっていうのは正直あって、定期演奏会だったり、コンサートシリーズだったり、色々な企画をやっていたりします。奈良県とも奈良市とも、知事と市長とも別々の契約でオーケストラと自治団体と色々契約させて頂いて、例えば市であるならばふるさと納税で返礼品としてコンサートのチケットだったりCDだったり色々今も企画しています。県の方でも奈良県の文化政策顧問という肩書きでさせて頂いていて、奈良県で文化の発展の為に少しだけ助言をさせて頂いています。

ばんばん:なんか奈良の人いいですね、身近で。

反田:そうですね。色々行わせて頂いて、来年も続投っていう形で決まっているので。

ばんばん:あとオンラインでクラシックコンサートをね。

反田:コロナ禍になって正直一番早くやったと思います。緊急事態宣言が出る前、2020年の3月だったので、安倍元首相が会見とかをしている段階に、有料チケット制でコンサートを売ったりしてましたね。業界でも初めてでしたし。

ばんばん:あとSNSとかすごいじゃない。自分のクラブみたいなのが?

反田:オンラインサロン「Solistiade」(https://solistiade.jp/)も一応作ってますね。まあオンラインサロンって名前ですけど、ある種のファンクラブみたいな形で、ファンの方も一般参加型でのコンサートを企画してたりします。ファンの為に作っている公演もありますし。
これからはスマートフォンのアプリを作っていって全ての日本のコンサートの情報だったり、取材だったりメディアをまとめたポータルアプリっていうのは将来作ろうと思ってますけど。

ばんばん:この前大幸さんとの話でメタバースの話が出てましたけど、彼もメタバースの中での色んなことには?

反田:興味ありますね。NFTとかもすごいありますし、やれることは、まあ失敗はしても怖くないので、やれることはやってみたいなって感じですね。

大幸:うん。

ばんばん:やっぱりクラシックの新しい開拓者ですよね。

大幸:そうですね。だから既成概念をぜひ打破して欲しいですよね。クラシックに対しても。

ばんばん:そうやね。期待しております。

反田:ありがとうございます。

ばんばん:じゃあ最後もう一曲リクエストもらえますか?

反田:僕はピアニストとして活動していますが、やっぱり小さい頃から指揮者にもなりたかった。で、今ウィーン、オーストリアの方に家を移して勉強しているんですね。やっぱりウィーンにゆかりのある作曲家で、これから勉強していきたいという思いから、ヨハネス・ブラームスという作曲家の「6つの小品,Op.118 第2番  間奏曲」(※注釈5)を。僕大好きな作品なので、みんなとシェア出来たらなと思って、聴いてください。

TR- 5 6つの小品,Op.118 第2番  間奏曲

(※注釈5)6つの小品,Op.118 第2番  間奏曲
ヨハネ・ブラームスは、ドイツ・ハンブルク生まれ、ウィーン没の作曲家、ピアニスト、指揮者。ベートーヴェンの作風を継承しロマン派の潮流の中核に位置するが、同時に中世以来の古典音楽やスラブ系のリズム感に富んだ民族音楽を研究し、重厚な作風をもって知られる。J.S.バッハ、ベートーヴェンと共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される。

「ピアノのための6つの小品」は、ブラームスが亡くなる3年前(当時61歳)の1893年に完成した、ブラームス晩年の作品(最後から2番目)で、人生を振り返っている様な叙情的なメロディが特徴。まさにブラームスの集大成と言える、ロマンチックな雰囲気とピアノのテクニックが融合された曲。

ばんばん:ばんばん&大幸の「オールディーズ・グッディーズ」今週もあっという間にお終いですけれども、今日は反田恭平さんありがとうございました。

反田:ありがとうございました。

ばんばん:さあ続いて来週は?

大幸:FIELD OF VIEWの

ばんばん:浅岡雄也さん。迎えてお送りします。ということで、お相手はばんばひろふみと、

大幸:長戸大幸でした。

ばんばん:来週までごきげんよう!

2人:さよなら!



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