日記に短歌 2024.11.24~11.27

11.24

部屋の花瓶に生けていた花が枯れてきた。もう二週間近く経っているから、十分元は取れたと言えるだろう。
ちょうど母がスーパーへ行くというので「よさそうな花があったら買ってきて」と頼んだのだけど、日曜は花市場が休みのようでいい花はなかったそうだ。

母が「庭の菊でも生ければ」と言う。その手があったか! うちの庭は特別広くはないけど様々な植物が生い茂っていて、今の時期には小菊が何種類も咲いているのだ。
さっそくハサミを手に庭へ出てみると、思った以上に小菊はたくさん咲いていて、それぞれに花のサイズや形も違う。「え、こっちにも咲いてたの?」と思う場所にも咲いている。
私は庭のことを普段まったく気にせずにいたみたいだ。自分の家の庭なのに、生まれてから三十年以上住んでいるのに、私は庭のことをよく知らないのかもしれない。
身近なものほど当たり前すぎて、意識して見ようとしないと見えないということか。

満開の小菊のなかからつぼみの多そうな茎を選んでちょきんと切ってみる。茎の下のほうの葉はからからに干からびている部分もあるので手で取り除く。
白い小菊とレンガ色の小菊を花瓶に生けると、これがとてもいい感じなのだ。自由にのびのびと生えていた花特有の野性味がある。買った花にはない味だ。
部屋に置いてみてもいい感じ。自分の家の庭にこんなにいいものがあったなんて。

うれしさを感じつつ、もし今後恋人と生活することになったら、住まいは庭のないマンションだろうな……と思った。
庭は草取りも必要だし、植物があれば手入れをしないといけないのが面倒だから庭のない生活でいいと思っている。
けれど、庭がないと咲いている花をとってきて生けるというよろこびは感じられなくなるだろう。
ならば、今のうちに味わわなければ。まず、うちの庭には切り花にできそうな花がほかにもあるのかを母に聞いてみよう。

ごみ箱のなかでいちばん美しい色として枯れかけのガーベラ



11.25

気になっていた隣町にあるギャラリー兼カフェで行われる映画を観る会を予約した。
雰囲気の良さそうなおしゃれなお店で不定期開催されているこの会は、店内で映画を観ながらスイーツとドリンクも楽しめるらしい。確実にいい時間を過ごせる予感がする。

節約をしたい気持ちもあるけど、それを理由に楽しそうなことをあきらめたくはない。
今の私は死にたい気持ちはほぼなくなったけど、それでも死は身近にあると思っていて、誰だって病気や事故で突然死んでしまう可能性はあるのだから後悔のないようにやっていきたい。
行きたいところへ行き、食べたいものを食べ、無理なことはしない。それって贅沢なことなのかな。

ご褒美のような予定を書き込んで今年の手帳もうすぐ捨てる



11.26

恋人と映画を観に行く。開始時間まで余裕があったのでコメダ珈琲店へ行くことにした。
順番待ちの用紙に彼の名字をカタカナ三文字で記入する。私の名字は四文字なのでそれだけで新鮮な気持ちになる。
私の名前は彼の名字に合わせたほうがバランスがいい。結婚したい理由はいくつもあるけど、そのうちのひとつに「名字を変えたいから」という理由も含まれている。もちろん、それは結婚したい理由としてはだいぶ下位の理由ではあるけど。
彼とは「合う」と感じることが多いし、一緒にいると楽しくてもっと一緒にいたい、楽しい時間を増やしたいと思う。優しくて穏やかで、たとえ何か困難があったとしてもこの人とだったらうまくやっていけると思える。彼といるときはなぜか私のポジティブな面が出てきやすい。そんなところが上位の理由だ。

コメダは地元の店舗にしか行ったことがなかったけど、どこも同じような雰囲気なのだろうか。あの赤いベロアのソファを見ていると、地元じゃないのに地元にいるような不思議な感じがして気持ちが落ち着く。
地元のことを好きじゃないと言っていても、結局私は地元や地元を感じる場所で心が落ち着くんだな、と思うとちょっと悲しい。

私は地元から逃れられないのだろうか……結婚して彼の住む町に引っ越したいと思っているけど、本当に地元を離れられるのだろうか……。そんなことを密かに考えながら彼と並んで座り映画を観た。
映画は日本の作品なのに知っている俳優さんが一人も出ていない、知らない監督のミニシアターっぽさのある作品で、なんとなく古い時代のフランス映画に通じるものを感じた。
映画を観たあとに夕飯を食べながらそのことも彼と話して、「やっぱり合うな」と思った。

シロノワールふたりで分ける 「愛だよ」と君に食べさせたいさくらんぼ



11.27

メルカリに出品したものが数時間で売れたので、梱包して郵便ポストへ発送しに行く。
ついこの間まで緑から赤へのグラデーションになっていた近くのお寺のもみじが、今日は全体が真っ赤に染まっていた。奥にあるいちょうの黄色と共に青空に映えていて、思わず「わぁ……」と声が出る。
お寺に人影はなく、前の通りを車は行き来しているけれど周りに歩いている人は私以外いない。私しか見ていないきれいな紅葉。

発送する商品とスマホだけを持って出てきたので、小銭を持っていない私は参拝するわけにもいかず、かといって道端でずっと立ち止まって見るのも変な人だと思われないか不安で、もっと見たい気持ちがありつつも立ち止まらずにポストへ向かう。

私は自意識過剰なのかもしれない。別に通りがけの人にどう思われてもいいじゃないか。
参拝しなくても、お寺の敷地内に入ることは許されるのではないか。
私が勝手に「こうしたらダメだろう」「こうじゃなきゃダメだ」と思っているだけじゃないか。私はいつもそうだ。自分のなかでルールを作ってしまう。
紅葉をじっくり見たいなら、見ればいいじゃない。

ポストへ商品を投函して、来た道を再び歩く。
お寺の前に差し掛かって歩く速度をゆっくりにしたものの、結局立ち止まることはできなかった。まぁ、そうなるよね。そう簡単に人は変わらないよね。
空の青さに切なさを感じながら家へと帰った。

町なかの紅葉静かにあかくなる 自信を持つと変わる顔つき



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