7月前半の日記
7月6日
祖母の四十九日法要。猛暑日の喪服はつらい。
「お寺に着けば冷房あるだろうから、それまで我慢しよう」と家族と励ましあいながら山奥のお寺へ向かう。母方の家は町はずれの集落にあり、お墓及びお寺はさらに山奥にあるため、訪れるのは今回で3回目くらいだと思う。
近年建て替えられたというお寺は、まったくお寺っぽさがなく、こぢんまりとした集会場のような建物だ。
そして、あろうことかお寺のエアコンは壊れていた。ちびまる子であれば「ガーン」と白目をむくところである。猛暑日に冷房がない状態で法事に参加することになるとは。とほほである。
入り口や窓を開け放っているけれど、まったく風は入ってこない。山奥だから、虫は入ってくる。最悪じゃないか。
どうにかこうにかお経をあげてもらい、お墓にお線香をあげに行く。水を汲む手桶には〇〇家という名前だけでなく、〇〇衛門とか××兵衛とか屋号まで書かれていて、同じ市内とは思えない文化の違いを感じた。
そのことを母に話そうと思ったのだけど、母は顔じゅうから汗が玉のように吹き出し、ファンデーションのせいか汗が白っぽくて、顔が白い水玉模様になっていた。それを伝えたり拭いたりしているうちに手桶の屋号のことはどこかへ行ってしまった。
7月9日
この日も暑かった。彼氏との待ち合わせの駅に降り立つと、もわーんとした浴室のような空気の暑さを感じる。
待ち合わせまではまだ時間がある。私は目薬を差したかったので、ホームの椅子に腰かけた。眼科で処方されているドライアイの目薬は1日6回つけることになっている。目薬は暑さでぬるくなってしまっていた。目薬を差した目をぱちぱちと瞬きしていると、奥の線路を新幹線が駆け抜けていった。
新幹線。それは新幹線が通っていない(厳密にいうと、線路がかすってはいるけど停車駅はない)茨城の人間にとって非日常のもの。全然電車に興味はないのに、新幹線は見ると嬉しくなってしまう。思わず、フ~! と言いたくなる。
座っていた数分の間に2本も新幹線を見ることができて、ちょっと得した気分になった。フ~! フ~!
電車はともかく、新幹線に限って言えばオタクになる素質があるのかもしれないな、と思いながら改札へ向かう階段を下りた。
7月13日
どこへ行くにも電車賃がかかるし、夏はどこも人が多いので、今年の夏は地元の行ったことのないお店に行って楽しもうと決めている。
その第一弾として和風カフェへ行ってきた。和風とは言っても、外観は普通のきれいな一軒家。土曜日だったため、混んでいるかもと思い、開店してすぐに入店したものの、帰るまでずっとお客は私一人だった。
あんみつがおすすめのようだったけど、ちょっとだけ安いみつ豆を注文した。私はあんこは特別好きでも嫌いでもないのだな、と思う。
落ち着いた雰囲気のカフェ。メニューも比較的リーズナブルで、食べる前からすでに「これはいいぞ」という気持ちになる。
みつ豆はシンプルで、たっぷりの豆と寒天、それに白玉が3つ。蜜がおいしい。これはちょっとした贅沢として、とてもいい。
テーブルには詩が飾られていた。
「できないことがたくさんあっても できることはある」
書き出しのこの部分が、今の私にはとても刺さって泣きそうになってしまった。できないことが人一倍多いけど、周りの人たちの助けに感謝しながらできることをやっていくよ。それでいいんだよね。
満ち足りた気持ちで「これはいいぞ」と思いながら店を後にした。
7月15日
俳句の夏井いつきさんの句会ライブが県内で行われると聞き、プレバト好きの母と出かけてきた。
詳しい内容を書くとネタバレっぽくなりそうなのでやめておくけど、夏井さんはテレビ通りのパワフルな印象の方で、話がとても面白くて、会場は笑いにあふれていた。
俳句というか、詩歌全般に縁がない母も楽しめたようでよかった。
終演後、ホールを出て駐車場に向かいながら母が「夏井先生はすごいね」と言うので、うんうんと頷いたのだけど、続けて「私と同い年なのに、ずっと立ちっぱなしでさ」と言うので笑ってしまった。母よ、もっと他に感心するところがあるでしょうよ。
こんな調子の母のもとで育った私が短歌を10年以上続けられているのは奇跡かもしれない。