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神山模型部発足の軌跡①

記念すべき、第2回。こんなこと言ってたら毎回記念すべき回になるのでこれで辞めます。
ということで、今回は僕が模型部を作った経緯について雑多に綴っていきます。

空前のガンプラブーム


そもそものきっかけ、2021年1月くらい、コロナが猛威を振るっていた頃です。僕に数年ぶり2度目のガンプラブームが来ていました。
とにかくわけわからんくらい毎日ガンプラいじって遊んで、写真撮って、楽しんでいました。

しかし、同年代は共通テストや私大の一般受験真っ只中、こんなことしてていいの?ってところですが僕は早々に受験戦争から撤退したため影響なしでした。軟弱モノです。

この頃作ってたHi-ν。今は全部塗装はがして、改修予定です。

それはいいとして、早々に京産大に入学を決めていた僕は模型関連のサークルや部が無いのか調べてました。結果はご存じの通り、無し!
結構ショックを受けたもので、大学生活割と暗くね?友達いないし…って思ってました。そんなこんなで趣味と言えるくらいに模型いじり熱が高まった状態で春を迎えました。この頃から模型部つくりたいなという思いはふつふつと積もっていたんだと思います。

入学後、閃光のハサウェイ上映!


無事大学生となった僕、結局友達と言えるほどの仲の人は作れないでいましたが、劇場版「閃光のハサウェイ」が公開されました。
ガンダム最高!御大最高!!ガンプラ楽しい!!
今まで見たガンダムシリーズの中でも一番喰らいました。1作目ということで結末が待ちきれず小説を全買いし、空きコマ中はひたすら読んでました。HGUCクスィーガンダムの販売にも人生初列に並んで買うという経験までしました。(後にも先にもこれ以外にプラモ買うのに並んだことはありません。)
長ったらしく書くと読みにくいと思うのでまとめると、大学生活始まって更に僕の中でガンプラは大きな要素になっていきました。
ガンダムシリーズをひたすら見返し、考察系の動画を見漁り、ガンプラを作り、この頃からXのアカウントも積極的に動かすようになってきました。僕の中の哲学や考え方、理想、生き方、日々の気持ちなど色んなものが揺れ動き変化し、いびつながら形になりつつあった時期でした。
そんなこんなで1年もあっという間に過ぎ、日に日に模型部を作りたいという思いも膨らんでました。

祝、友達

2年生になり、理系ということもあり実験や専門科目の難易度が上がり、お手上げ状態になってきました。そんな中でも嬉しいこともありました。
大学初、友達と言える友達が出来た。
同じ学科の彼は友達のいなかった僕にとってはすごく実りのある出会いでした。
友達があまりいなくても充実した毎日を過ごしていましたが、やはりふと話す人がいるのは良いもので、少しずつ自分が模型部を作りたいことなども明かすようになっていきました。
少しだけ彼について話しますと、上に書いたようにその風貌は文豪です。偏屈ではあるものの芯のある人でその話や哲学には魅力があり、話すとめちゃくちゃ楽しいです。そんな彼、実は模型部第1号の部員です。
何とかせわしない日常を切り抜けつつ夏休みを迎えました。

実験の写真。懐かしいです。

初、GBWCに応募・ファイナリストに

夏休み、8月31日、この日が僕にとって大きな転機の日となりました。GBWC10thへの応募です。なんとなく見ていたXのタイムラインにGBWCに応募が間に合ったーというポストを見て、「出すか」と何の気なしに最新作の「F-91 cream」で応募してみました。
応募様式に手こずり、期限ぎりぎりに完了…写真も帰省5分前に適当に取ったもので恐ろしく不格好なモノでした。
とはいえ、何とか応募完了…一件落着です。それから約1ヶ月存在自体を忘れてました笑。

端折りますが、なんだかんだ2次応募選考まで残った僕の作品でした。次を通れば国内ファイナリスト…正直ここでやっと意識するようになりました。日々のエゴサはもちろん、他のファイナリストの作品をよく見ていました。「これは、優勝できん。」
写真があまりにも酷く、まず無理だろうと考え、結果発表の日は実験の授業にヒーヒー言うてました。

当時の写真。(今も写真は下手です)

うまい具合に結果が出ず、居残りで実験をしていたところ18時を過ぎていました。「あ、結果でたかも」実験の待ち時間にサイトを覗きました。
「通っているだと…」
正直ビックリ。まさかのまさかあんな写真で通るものかと何度もサイトをリロードし、間違いではないか確認しました。しかし、幸いにも現実だったようで僕は晴れて人生初ガンプラで何か称号を得ました。
そして、この時近くにいた文豪に通ったこととあることを宣言しました。

「模型部作るわ!!!」

完全に調子に乗っていました。しかし、これがきっかけとなり僕は模型部創部に向けて奔走するようになっていきました。

案外、長くなっちゃったので今回はここまで。模型部を作ろうと立ち上がった瞬間までの経緯を思い出してみました。
思い出すと、なんかよくもまあという感じです。国内ファイナリストだけでなく、文豪が近くにいたことはかなり重要だったように感じます。
次回は模型部(仮)の発足と正式創部までのなかなか大変だった時期について思い出そうと思います。

駄文長文失礼しました。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。
それではまた(@U@)

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