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リッチー・ブラックモアの原点:幼少期からディープ・パープル結成までの軌跡

皆さんこんにちは、ミスターグリーンピーチです!今回のテーマは、私が大好きなロックギタリスト、リッチー・ブラックモアです。彼の幼少期からディープ・パープルに参加するまでのエピソードを紐解きながら、ロックの歴史を一緒にたどっていきましょう。

サマセットでの誕生と幼少期


リッチー・ブラックモアは、1945年4月14日にイギリス・サマセット州のウェストン=スーパー=メアという保養地で生まれました。その後、ロンドン近郊のミドルセックス州ヘストンで育ちました。イギリス南西部に位置するサマセットは、美しい自然と歴史的な街並みが魅力の地域で、ウェストン=スーパー=メアは観光地としても知られる海沿いの町です。
幼少期のリッチーは音楽に強い興味を示し、1956年、11歳の誕生日に父親から7ポンドのスパニッシュ・ギターをプレゼントされると、その才能が開花していきます。

初めての音楽教育


リッチーはスパニッシュ・ギターを手にした後、クラシック・ギターのレッスンを約1年間受けました。このクラシック音楽の基礎は、後の彼のプレイスタイルに大きな影響を与えました。その後、近所に住むビッグ・ジム・サリヴァンからロックンロールギターを教わり、リッチーの音楽の方向性が大きく変わります。

さらに14歳で初めてエレクトリック・ギター、カール・ヘフナーの「クラブ=50」を手に入れると、彼はその魅力にすっかり取り憑かれてしまいます。そして人前で初めて演奏を披露したリッチーは、さらに技術を磨くべく努力を重ねていきました。

若き日の音楽活動とディープ・パープルへの布石


リッチーは、ディープ・パープルで世界的な名声を得る以前から、すでに音楽活動をスタートしていました。彼はイギリスやドイツで様々なバンドやセッションに参加し、経験を積み重ねました。特に、ドイツのハンブルクでは、ジェフ・ベックやジミー・ペイジと短期間セッションを行ったという逸話も残されています。このような交流が、後にリッチーの独特な音楽性を形成する糧となったのです。

さらに、ディープ・パープル誕生の原点となったバンド「ラウンドアバウト」にも参加しました。このバンドでは、キーボードのジョン・ロードとともに活動し、のちにディープ・パープルへと発展していきます。クラシック音楽への深い理解を背景に、様々な音楽スタイルをミックスしたサウンドを作り上げたリッチー。彼のギタープレイには、クラシック音楽的な要素が色濃く反映されています。

ディープ・パープル結成への道筋


ラウンドアバウトでの活動を経て、メンバーチェンジやバンド名の変更を繰り返しながら、ついにディープ・パープルが誕生します。リッチー・ブラックモアのギタープレイは、バンドの音楽的方向性を大きく左右し、ディープ・パープルのサウンドを形作る重要な要素となりました。クラシック音楽に裏打ちされたテクニックと斬新なアイデアが、バンドの音楽に革新をもたらし、世界的な成功へと導いたのです。

まとめ:リッチー・ブラックモアの幼少期からディープ・パープルまで


リッチー・ブラックモアは、幼少期からギターに親しみ、様々な音楽経験を通じてその才能を開花させていきました。クラシック音楽からロックンロール、そしてディープ・パープル誕生までの道のりは、彼の音楽的探求心と努力の結晶と言えるでしょう。

次回のブログでは、ディープ・パープル時代のリッチー・ブラックモアについて詳しくお話しします。どうぞお楽しみに!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。ミスターグリーンピーチでした!また次回お会いしましょう。

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