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期待しない
ここ最近、以前に比べると普段からちょっとラクな気持ちで過ごせるようになってきたと感じる。
決して以前までが切羽詰まっていたのかというとそうでもないのだけど、なんかラクなのだ。
書いている今、季節の変わり目で少し体調は悪いし、子どもができる直前だったり家を購入する話が現実的になってきたりで結構考え込む材料はあるのだが、割と「まー、何とかなるし、何とかするしかないよね」と割り切れているし、先日も結構ショックなことがあったが、ほぼ立ち直った。
その理由として思いついたのが上記の事である。
正確には「自分がコントロールできない範囲には、特に期待しない」ということができるようになってきたのではないかと思っている。
人間、自分のコントロールできない範囲はめちゃくちゃ大きいし(例えば政治とか、事件とか、ドラゴンズの勝率とか)、これに怒ったところで現状が変わることはほぼない。
だからこそ、「その状況の中で、自分が何を選択して、どう生きるか?」ということこそが生きる力なんだなということに、最近ようやく実感を持って気づけたのだ。
ちょっと遅いかもな。
個人的なコダワリは、そうしたコントロールのできない範囲のことに「期待しない」ことであって「目を背ける」こととは異なるということだ。
僕はどうしても社会情勢のイヤなところに目が向いてしまうし、何とかできないかなと思う傾向にある。
でも、そこで自分の感情がいちいち動くと、疲れる。自分と直接関係ない情報で疲れる。
だから、そうした情報はハナから見ない、聞かないという選択をしている人はたくさんいると思う。個人的には、そうすることで心が平穏になるかもしれないけれど、自分の世界は狭まる一方だし、自分と遠い世界観で生きている人たちのことはいつまでたっても拒否してしまうんじゃないか、とも思っている。
それよりも「なんだってこんなコトが起きているんだろう」とか「そこにはどんなニーズがあるんだろう」ということにフォーカスするのが大事だと思うし、この考えは今後も大事にしたい。ただ、感情まで動かす必要はないのだ。
なんとなくその感覚になってきた最近になって、話題の「FACTFULNESS」や、社会派ブロガーちきりんさんの書籍なんかを読んで「あー、やっぱそうだわ」と確信に至った次第である。
両者ともまさに「社会」がどんな状況になっているかを客観視した後、「その中で、自分のことは自分が選択して生きるしかないよね」というメッセージを発してくれている。そんなトーゼンでカンタンなことがようやく腑に落ちた。
考えてみたら自分も、周りに「なんで?」と言われながらも自分の意思で大組織を離脱して地方の中小企業に転職し、それなりのモチベーションでやってきている。自分で選択したという点では、当初考えていたより自信になっているのかもしれない。
あとは、もうちょっとプライドや使命感を捨てながら、自分のやりたいことへの優先度を上げた暮らしをしていくために、自分がどう選択していくかを考え、行動していくのみである。
子どももできるし、これからも僕の周りを取り囲む環境は変化し続けるはずだ。そんな変化に慣れながら、でも期待しないし、流されない、そんなしなやかな生き方をしよう。
やっぱそのほうが、ラクだな。