星になれたら~桜井和寿&寺岡呼人共作秘話
Mr.Childrenの楽曲「星になれたら」は、桜井和寿さんとJUN SKY WALKER(S)(当時)の寺岡呼人さんが共作しました。
それは、ミスチルのデビュー前の1991年のことです。
寺岡さんのソロツアーが決まり、ひょんなことからアマチュア時代の桜井さんが参加することになりせっかくだから曲を作ろうと制作が決まりました。
「ひょんなこと」については関連記事「寺岡呼人さんとミスチルのつながり」に書きました。
まず、寺岡さんが曲の前半のモチーフだけを作ったそうです。
寺岡さんに曲を聴いて欲しいと呼び出された桜井さんは、寺岡さんの住んでいた東高円寺まで自転車で行って、カセットテープを聞かせてもらったそうです。
(桜井さんは、練馬に住んでいた模様。)
桜井さんは、その帰り道、自転車に乗りながらその続きを作り、歌詞も曲もほとんど完成させてしまったようです。
ただ、この時点でサビは、前半部分の「さようなら~来るから」で終わっていたのですが、なんかそこにプラスしたくなった寺岡さんが、「動き出した僕の~」と下がるところを追加したそうです。
寺岡サンは、桜井さんとのこのような共作について、「レノン&マッカートニー的にじゃないですけど、『個っからこう作って、そう来るんだったらこうしようよ』みたいに勢いでポンポンと共作で来た。」と言っています。
この曲の仮タイトルは、当時、JR東海のCM曲が売れていたということで、それにあやかって「JR」にしたそうです。
そして、91年に桜井さんも参加した「寺岡呼人&ヒズフレンズかわいい子には旅をさせろツアー」で披露されました。
そのつあーが終わった痕、ミスチルがライブハウスでもこの曲を演奏するようになっても、はじめのうちは曲目リストに「JR」と書いてあったみたいです。
桜井さんと寺岡さんが共作したMr.Children名義の楽曲はほかに「妄想満月」があります。
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