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人の感覚というもの
こんにちわ。今日、1月5日は小寒だそうですね。寒さが最も厳しくなるという意味だそうです。小寒から立春前日の節分までを「寒の内(寒中)」といって、1年で最も寒さが厳しい時期なんですね。
ネットで見ていたら、童謡の「寒太郎」という言葉は、この、寒の入りを擬人化したとも言われているそうです。
とはいえ、そんなことは毎年、特に意識することもなく過ごしてきたけれど、今朝、目覚めたら、なんだか両腕が変な”感覚”。
なんだこの感覚は?
だるいというか、痛いというか、重いというか...
要するに、腕の不快感があったわけ。
それで、しばらく考えながら、これはあれだなと思い当たるふしが。
去年の今頃、自転車で前転して、両腕を骨折してたんだった。
そこの部分がまさにだるいというか、痛いというか、重いというか...していることに気が付いて、でもなんで、昨日は何もなかったのになとか思いながら、ニュース見てたら、今日は小寒で、体感よりも寒いみたいなことみたい。
よく寒くなると、古傷が痛むっていうけど、まさにそれ。
いやそれししても、体の感覚というのはすごいね。まったく意識してなくても、痛みという感覚で、でてくるんだから。
”感覚”というのは、大切にした方が良いとは思います。
が、それだけに判断をゆだねてしまうと、とても痛い思いをすることってあるんですよね。
確かな判断基準、物指しがないと、重要な局面で、なんの根拠もない”感覚”だけで選択をして間違ってしまったら大変です。
メディアを通しての情報も、人からの情報も、情報過多のこの時代に「これが正しい感じがする」と”感覚”だけにたよらずに、正しい判断基準で判断していきたいですね。
そして、聖書はまさに変わることのない確かな判断基準。