この世のせいにしたくはない
夜はこんなにも冷える癖に、日中はまだ少し暑い。
しぶとく尾を引いた夏は、もう10月が終わりというところにまで、
長い髪を引いて居座ろうとしているようでもあります。
私はあまりネットを見ないようにしています。
そのネット上に書き込んでいて何を言うか、と思われるやもしれませんが、
なんだか、ダラダラと時間だけが食い潰されているような感覚を覚え、
それに気付いた時にはついに耐えられなくて、
頻繁にみていたものを何とか隅に追いやりました。
初めの頃は私の知らないところで世の中が進んでいき、
それに置いていかれるようで苦しかったのですが、
いざ離れてみると、意外と生きていけるのです。
というよりも、知りもしない誰かの罵詈雑言や、
遠い世界であるはずの不祥事など、
どうして、血眼になってまで追い求めていたのでしょう。
雑学や格言など、
知って得するようなことを目に入れては、
結局数時間もすれば忘れてしまっているというのに。
覚えていたとして、
それが今まで、私の何になったのでしょう。
覚えていないのに、
快いとは言えないものを見た実感が、
私の心を汚していく一方で。
皆さんは、今日見た動画を思い出せるでしょうか。
私は全く思い出せませんでした。
知って、悟った気になっていただけで、
何の身にもなってもいないことが、
私がネットに愛想を尽かした理由でした。
いえ、ネットではなく、
そんな私自身に失望したのでした。
世の中は運だの、才能だの、
せっかくの頑張りすら失せてしまうような、
いわゆる現実とか、真理とか、
もっともらしい言葉を並べて、
ただただ生きる気が滅入ってしまうようなことばかり
目に入ってきます。
それがそうだったとして、
ただ生きようとする今日日々に、
暗雲立ち込めては、
やわらかい朝の日差しさえ、
尖っているように思えてしまうだけで。
そもそも現実とか、真理とか、事実だとか。
私はそんな類の言葉があまり好きではありません。
どんな偉人の言葉であろうとも、
結局はただの一意見でしかないのでしょう。
「私はこうだと思う」
それだと少し弱いから、
「私」という主語を
「世の中」に変えて、
「こうだと思う」を
「現実だ」として。
「世の中はこれが現実だ」
「これが真理だ」
そうしてただの意見が、
いかにももっともらしいものになって、
現実、真理、真実、
そんな言葉を並べては、
仏陀にでも背が届いた気になるのでしょうか。
少し荒くなってしまいました。
いかに気に喰わないことであろうとも、
誰かの目に届くのならば、
こうであってはいけません。
ともかく、そうして世を腐してしまえば、
いとも容易く、
自分の面子を保つことが出来るのでしょう。
もちろん、
世の全てが正しいだなんて思ってもいませんが、
ただ少し思うところがあるのです。
私は、私に降りかかる全てのことを、
この世のせいにはしたくない。
透き通るような朝日。
それに照らされる、
まだ起きる前の街。
この世のことなど、
知らん顔できらめいている月と星。
風に逆立つ海と、
それを萌黄色に染め上げる夕日。
季節で顔を変える木々。
そんな美しきもの溢れるこの世界に、
己の業を擦り付けたくはない。
偶然早く目覚めた日の朝に、
ふとそんなことを浮かべては、
その日から体の中で反響するように、
絶えることなくそう思っていました。
だからと言って全て自己責任と言うつもりもなく、
ただ、この世を腐してしまうことに慣れてしまえば、
きっと、この世界を愛せなくなる。
どれだけ嫌ったとしても、
この世界でしか私たちは生きられないのだから。
どれだけ人の手に汚れていようとも、
私はこの世界を愛したい。
それは自分を愛するに等しいことでしょう。
だからこの世界のせいにはしたくない。
最近は、なんだかそんなことを思っています。