「赤い女」2006年7月頃
2006年7月、まだKAT-TUNは6人でCDデビューしたばかりだったこの頃、僕は浪人生だった。毎日、北九州予備校博多駅校に電車で通っていた。
この日はたしか土日のどちらかだったと思う。
毎日の予備校での自習に飽きて、今日くらいは帰ろうと昼過ぎに電車に乗った。
博多駅発の下りの地下鉄はいつも通り空いていて、僕は連日長時間の勉強に疲れ、座席に腰を下ろして考え事をしていた。
何駅かを過ぎて、ある駅で50代くらいの女が乗ってきた。痩せ細った不健康そうな女で、トートバッグやビニール袋など多くの荷物を抱えていた。目についたのはその女の格好だった。頭の帽子から足先のサンダルまですべてが赤。
席が埋まっていたため、赤い女は入り口近くの吊革につかまった。
僕は変な女が乗ってきたなと思いつつも、眠気の方が強く、うつらうつらしながらそのまま電車に揺られていた。
二駅ほど過ぎて、僕がぼんやりと足元を見ていると、カッカッと近づいてくる足音がして見上げると先ほどの赤い女が立っていた。
不機嫌そうな顔をして、くぼんだ目は明らかに僕を見ていた。
何で僕の方に来たんだ、怖いなと思って見ていると、彼女が一言。
「わたしもうすぐ病気で死ぬから座らせてくれません?」
僕は背中がぞわっとしてすぐに席を立ち、同じ車両に乗っていたくないなと感じて隣の車両に移った。
乗ってきてすぐに席を譲らなかった気まずさからではなく、ただただ僕を見ていた目と発せられた言葉の恐怖に駆られたからだった。
その枕詞なくても席は譲るよと思った。
現在の所感(2019年7月7日)
この話はおそらく悪意のない赤い女の人に対しては申し訳ないが、僕が唯一遭遇した恐怖体験としていろんな人に話してきた。
自分自身でもときおりこの出来事を思い返してはあの女の人は多分もう死んでいるんだろうなと考えてきた。
人に話してきた中で興味深かった意見を二つ紹介したい。
どちらもなぜ赤い服装だったかについての意見だ。
一つ目はKくんの「還暦祝い帰りだったんじゃないですか」というもの。赤いちゃんちゃんこや帽子を被って祝ってそのまま電車に乗ったのではという意見だ。これはもし還暦祝い帰りだったとしたら赤い女が単身で電車に乗ってきたことが不自然だし、そもそも他の服の上に赤いものを着ていたのではなく、すべてが真っ赤だったことから否定できる意見だと感じた。
二つ目はJくんの「その女性の方、統合失調症だったんじゃないですか。統合失調症の人は赤の色を好むそうですよ」というもの。
これに関しては、僕は統合失調症について無知だから何も言えない。
「だからその女性の方がまだ生きている可能性はあると思いますよ」とJくんは続けた。
彼らの話を聞いて、僕は電車に乗るたび、またあの赤い女性と会うことがあるのかなと考えている。
次はちゃんとすぐに席を譲らねばと思う。
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