ボーイズ・オン・ザ・ラン
花沢健吾さんの作品が好きだ。
初めて読んだのは「ルサンチマン」だった。映画「レディ・プレイヤー」のようにバーチャルの世界へ、全身スーツと専用ゴーグルを装着して入り浸る。そんな、中年の冴えないおじさんが主人公の、確か全三巻の漫画だ。
(後から調べてみたら全四巻でした。失敬)
「冴えない」を描く天才だと思った。花沢健吾さんは。
「冴えない」を描く時、作者が冴えてると、その「冴え」が空気中にどうしても香ってしまうので、真の「冴えない」を表現しきれてないような気が私はしてしまう。普段お洒落な人がダサい格好をしても、仕草とかポージングとか着こなしでどうしても真実の「ダサ」にはならないのと同じである。
「冴えない」に「お洒落」が掛け算されちゃうと、それは途端に綺麗な「鬱」になってしまう。そういうのを「スタイリッシュ鬱」と私は呼んでるんだけど、なんでかスタイリッシュ鬱作品には心を根こそぎ持っていかれたことが一度もない。そうは言ってもスタイリッシュ鬱にはスタイリッシュ鬱でしか摂取できない美味しい空気があるので、そっちも大好きなんですけど。
(ちなみに、浅野いにおさんのプンプンとか押見修造さんの血の轍とかが、私にとってはスタイリッシュ鬱作品にカテゴライズされる)
でも、花沢健吾さんの描く人間の「冴えなさ」は、本当の真実だ。と思った。登場人物の後ろにいる作者、花沢健吾さんはきっと知ってる。冴えないで生きることのジメジメさを、絶対に知ってる。
ルサンチマンの次に読んだのが「ボーイズ・オン・ザ・ラン」だった。
余談だけど初めて読んだ場所は満喫。あの狭っ苦しさ、隣からいびきが聞こえてくるようなしょうもない環境下が、作品の雰囲気とも相俟ってなんだかいい思い出。
↑これは私が一番好きな表紙。三巻ですね。
なんかかっこよく見えるけどフードを脱ぐと実は全然かっこよくないところが、どうにもこうにも良いのです。
主人公の田西は、やっぱり冴えない男だ。本当にこれでもかってくらい冴えない。
テレクラで知り合った女がどうにも勃つような容姿じゃなくて、ホテル行ったけどできなくて、それどころか美人局みたいなことしてる女で後日ヤクザの彼氏にボコられる。
そんな踏んだり蹴ったりから物語は始まる。
田西の冴えなさはすごい。主人公なのに全然肩を持ってやれない。「だからさあ田西お前さあ…」ってため息が毎度溢れてしまう。
這い上がれよ。そっから盛り返せよ。大事なモンは死んでも手ぇ離すなよ。何度ハッパをかけても、冴えない男の言動はどうにも変わらない。
だけど田西は、しょうもないところで情をチラつかせる。諦めちゃいけないところで諦めるくせに、引っ込んどけばいいところで出しゃばる。「馬鹿野郎…」って言わずにはいられない。そうじゃないだろ田西、そこじゃないんだよ田西、いい加減キメてくれよ田西…。
田西へのため息と、ガッカリと、次こそ頼むよって切なる願いが、読んでるとずっとずっと続く。
気付いたらいつの間にか、田西は自分の友達だった。毎日職場で顔合わすような、別に自分から会いたいと思うことは一度もないような、だけど欠勤してたら「あれ?田西は?」って誰かに絶対軽く聞くだろうなって感じの、自分の生活の中にいる、そんな友達。きっとどこかで生きているだろう誰か。そんな風に思えるから「キメてくれよ田西…」ってため息に本音が宿る。本当に、体の内側から長〜いため息が溢れちゃうんだ。
物語の後半、田西は仕事を辞めてボクシングジムに通い出す。(これもまた「なんでだよ田西…」とツッコミを入れずにはいられない)
目当てはジムにいる綺麗な女の子。あわよくば仲良くなりたいと思って、別に本気でプロを目指したい訳でもないのにジムに通い始めるんだ。田西の原動力は大概が下心。しょうもないなぁ田西お前。田西ほんとにお前って奴は。
そうやって、全十巻のうちの九巻までは存分に「田西お前…」って気持ちにさせられるのに、最後の一冊、いや、最後の話、いや、最後のページで、私は頭が痛くなるくらい泣かされた。大号泣だった。
冴えなくて、なんにも手に入らなくて、やり遂げなくて、貫かなくて、優柔不断と中途半端と薄っぺらを掛け合わせたみたいな田西が、あの田西が、最後の最後の最後で、たった一人を強く抱きしめるんだ。泣きながら助けるんだ。「家族だ」って言うんだ。その子をクソみたいな毎日から救うんだ。
田西が、下心抜きで誰かのために、自分の為じゃなく、打算もなく、たった一人の誰かの為に言った「家族だ」って言葉。そのたった一言が一巻から九巻までの田西を吹っ飛ばしちゃった。そう思った。抱きしめる両腕にはどれだけ力が込められていただろう。流した涙はどれだけ熱い温度だっただろう。
田西。なあ田西、その子を守る為に撃ち込んだ「家族だ」って言葉。お前の声で聞こえたよ。お前の震える声が聞こえたよ。なあ田西。ちゃんと聞こえたんだ。絶対、聞こえるべき人の心に、聞こえたんだよ。
この最終話があったから、私は「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を「人生のバイブル」の中の一つにしてる。
田西のことが好きかって言われると、正直ぜんぜん分かんない。でもボーイズ・オン・ザ・ランのことが好きかって言われたら、自信満々で答える。なんなら涙目で叫べる。大大大大大好きだって。
最終話の後のエピローグもすっごく良い。こんなに素晴らしいエピローグが描かれた作品を他に私は知らないです。
田西が人生をかけて、誰かの人生を守ったことは周りの誰も知らないんだ。誤解されたまま、後ろ指だって刺されたままで、だけど、世界にたった二人だけ田西の本当を知ってる。
大切な人が知っててくれたら、それが全てだ。それが田西の手に入れたモンだ。それが田西から私が教えてもらった、たった一つの全てだ。
買い揃えて本棚に並ぶ全十冊を、今でも定期的に読み返す。九冊分の「田西お前さあ…」ってため息をついて、最後の数ページに「田西聞こえたよ」ってメッセージを送る。
何回読んでも、いつになっても最後は大号泣です。だって田西の「家族だ」が、その震える声が、確かに聞こえるから。
なあ田西。「家族」で食べるご飯はどうだい。とびきり美味しいかい。
笑っているかい。
花ちゃんとシュウマイ先輩と、家族三人で、笑っているかい。
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