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154.【趣味】社会人になってから初めて絵を描いて気づいたこと

BASE株式会社代表の飯島裕基です。

自己紹介の記事にも書きましたが、
小さい頃にお絵描き教室に通ったり、
イメージコンサルタントとしてファッションの仕事をしたりしているので
アートやデザインなどは元々好きでした。

仕事を通して趣味がアートに〜ファンとなる〜

大人になってからはアートという部分に触れてこなかったですが、
アートギャラリーの仕事に携わる中で
改めて「アート」という趣味が増えました。

アーティストの方々とコラボレーションしながら、
「個展」や「棚貸し」にて毎月雰囲気が変化する
お店として営業をしております。

アーティストの方々とコミュニケーションを取る機会が増えてくる中で
アートにもっと触れようと思い、美術館に足を運ぶ数を増やしました。

最近で言うとゴッホに触れる機会がものすごく増えました。
実際に絵に触れてみると心が動く瞬間があり、
アートの魅力にどんどんのめり込んでいるところです。
以下の2つには足を運びました。

また今週もゴッホに触れてきます。楽しみです。

フィンセント・ファン・ゴッホとは

フィンセント・ファン・ゴッホはポスト印象派の画家。1853年オランダ南部のフロート・ズンデルトにて牧師の息子として生まれる。69年グーピル画廊ハーグ支店に就職。76年に解雇され、教師、書店員と職を転々とする。77年に牧師を志すも、神学部の受験に挫折。78年、ベルギー・ブリュッセルの伝道師養成学校に入学し、ボリナージュの炭坑町で伝道活動を始める。80年に画家となることを決意し、オランダに帰郷。81〜85年、《ジャガイモを食べる人々》(1885)など、農民の暮らしを描いた修行期間を経て、86年パリに渡る。

 フェルナン・コルモンの画塾に通ったゴッホは、アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックやポール・ゴーギャンらと出会い、また、印象派から台頭し始めたジョルジュ・スーラ、ポール・シニャックといった新印象派の作品に触れる。当時流行していた日本趣味にも関心を寄せ、浮世絵版画を収集。歌川広重の《亀戸梅屋舗》(1857)や渓斎英泉の《雲龍打掛の花魁》(1830-44)などを模写したほか、87年にはカフェ「ル・タンブラン」で浮世絵展を開いた。この頃知り合った絵具屋のジュリアン・ペレ・タンギーをモデルとした《タンギー爺さんの肖像》(1887)の背景にも浮世絵が描き込まれている。

 88年、静養のため日本の風景に似た南フランス・アルルへ移住。芸術家たちとの共同アトリエ「黄色い家」を借り、唯一賛同したゴーギャンとの生活を送る。ゴッホはこの地で、鮮やかな色彩と力強い筆致、アドルフ・モンティセリに影響が見られる厚塗りによる手法を確立し、《ひまわり》《夜のカフェテラス》《種まく人》(いずれも1888)などの代表作を生み出した。しかし、ゴーギャンとの口論の末、ゴッホが自ら耳の一部を切り落とす事件を引き起こし、短い共同生活が終わる。89年サン・レミの精神病療養所に入院。発作を患いながらも、《星月夜》(1889)などを手がけ、この頃から作品内に渦を巻く描写が見られるようになる。90年5月、パリ郊外のオーヴェール=シュル=オワーズを次の静養地に選んで移住。療養の傍ら制作を続けたが、同年7月27日にピストルで自殺を図ったとみられ、その2日後に自身の画業を支えてきた弟・テオに看取られて死去した。

美術手帖(https://bijutsutecho.com/artists/494)参照

アート鑑賞からアートを描くに〜プレイヤーとなる〜

美術館に足を運ぶだけでなく、今月はついに絵を描きました。
代官山にある「Artbar Tokyo」のアートWSに参加してきました。

社会人になって初めて絵を描いたのですが、
上手いかどうかは置いておいて、心踊る体験でした。
一緒に行った友人にゴッホっぽいねって言われたのですが、
気づかないうちにゴッホに影響されていました。

ちなみに自分が描いた絵は以下です。
描いてからもっとこうしたらよかったなっていう改善もものすごく出てきたので
次はもっといい絵が描ける気がします。

またチャレンジしたいなと思いますし、
目標設定としてアート部屋を家に作りたいなって思い始めてます。

ファンからプレイヤーに変化して

アートのファンになり、
美術館に行くようになってアーティストの方々と話が盛り上がるようになり、

アートのプレイヤーになり、
絵を描く面白さ、絵を描く難しさ、アーティストの方へのリスペクト
せっかくならもっと絵を上手く描きたいなどいろんな想いが出てきたので
アーティストの方々と会話すると話の広がり方が大きく変わりました。

改めて何事もプレイヤーとなることの大事さを感じるいい経験でした。

次回もお楽しみに


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